ツグミ団地の人々〈二人の散歩8〉
「ずいぶんよく咲いているな」
彼はティーカップを口から離すと出窓の外に咲き誇るバラに見惚れながら言う。息子が父親の方に向き直り、息を整えながら話す。
「父さん、ダブルデライトって、知ってる?」
「ダブルデライト?」
「バラの名前だよ。白っぽい花びらで外側に赤の絵の具をうすく染め付けたような花なんだ」
「二重の喜び・・・・・・いい名だな」
「そうでしょう」息子の息が弾む。
「その上すごくきれいなんだ。それから、レッドディビル、サプライス、ガーディンツアバー、ロイヤルハイネス…。グレンドラは、サーモン系の美しい大きな花を咲かせるよ」
「それぜんぶ、庭に植えたの」
妻親はやさしい声で訊いた。
「いや。カタログで見ただけなんだ。ダブルデラトト・・・・・・、あった。これだ。いつかきっと咲かせてみせるよ」
花弁の縁だけを濃い色に染めた大輪のバラが、カタログの中で誇らしげに花びらを広げていた。
「まあぁ、きれい」
「そうでしょう。テキーラという名前のバラもあるんだよ」
「テキーラ?」
「橙系の赤い花弁なんさけど、まあ酔っぱらったような色っていうか」
隆史はくすんと笑った。けれどすぐにまたいつもの固すぎるくらいの表情に戻ってしまった。
「モナリザ、サンフレアー、フリコーティー、マジョリカ・・・・・・」
「そんなにいろいろ・・・・・・」
「桜霞という名前のバラもあるよ」
「桜に似てるのかい」
「いや、全然似てないよ。中輪の花弁で薄いピンクと濃いピンクとの濃淡があって・・・・・・とても可愛い花なんだ」
隆史はうっとりとした様子で言った。
「いま、庭に咲いてるの?」母親が訊いた。
「うん、咲いてる。これからどんどん蕾がふくらんで満開になるよ」
隆史は胸をはった。
「パパメイアンも先週くらいから咲き始めた。大輪で枝の先っちょ花が重たそうなんだ。どうにかしてやらないといけないな・・・・・・」
「添え木とかするんじゃないの」
澄子が目を輝かせる。
「もちろん棒を立てて絡みつくようにはしてるんです……。けど思ってたより大きな花だったんです。ずっとずっと大きかったんですよ。そ、そ、そうだな……」
隆史は大ぶりのスイカを抱えるくらいに両手を広げ、微かな喘ぎ声をあげた。それから気がかりそうに窓の外に視線をやった。
窓のそばに張り出した山桃の木の枝に、赤い実が点々と連なるようについていて、茂み奥からしきりに小鳥の鳴き声がしている。空のどこからか一羽の鳥が飛んできて、枝の股にある巣に留まり、辺りに気を配りながら雛たちにエサをあたえた。それがすむと、親鳥はすぐにどこかに飛んでいってしまった。
ふいに彼の頭の中に、ある詩人の「おお、薔薇、汝病めり!」というフレイズが浮かんできたが、それが不吉なことに思え、慌てて頭をふると息子の穏やかそうな白い顔に目をやった。
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