ツグミ団地の人々〈レモンパイレディ7〉

 夕方家に帰ると、くるみの姿が見えないといって、母さんが家中を探していた。
「どこにもいないわ。玄関のドアを開けたとき、足下をすり抜けて、外に出たのに気づかなかったかもしれない」
「そんなことないよ」
とはいったものの、廊下や階段を探すことにした。歩いて1階まで降りて、また一番上の階までいった。僕んちの棟は14階建てで、13階がエレベーターの止まる最終階だ。

「くるみ。くるみ」
 小さく呼びながら人気のない階段を、一段一段上っていった。14階まできて、さらに屋上へ抜ける狭い階段をたどっていると、どこからか、にゃぁと小さく鳴き声が聞こえた。

 屋上に通じる扉には、錠前のついた鎖が下がっている。そのどん詰まりの階段の一番上の隅っこに、くるみはコンクリートの壁に体を寄せるようにしてすわっていた。二つの目が緑色に光っている。
「おいで」
 呼んでみるが、月に魅せられたように斜め上の暗い空にじっと目をやって動かない。近づいていくと威嚇するように、にゃぁと鳴いた。まるで、
「今ごろきたっておそいんだよ」
 とでもいっているように。僕はくるみを腕に抱き上げた。くるみは、ぼくの腕の中で安心したように目を閉じた。

 10階まで降りてくると、森のような高い木々が遠くに、童話の中の城壁のようにそびえ立っているのが見えた。その手前に公園が広がっていて、まあるく澄んだ月が滑り台を明るく照らしていた。下の地面が静かに光を吸収していた。

 その横に細長い筒のようなものが下がっている。
「あれなんだろう」
「きっとサンドバックよ。夜、公園でサンドバックを藤棚の横木に下げて叩いている人を見かけたことがある」

「知ってる人?」
「ううん、知らない男の人。この団地のどこかの棟の人で、夜だけここに来るのよ。きっと、憂さ晴らしね」
「うさばらし」というのがどういうものか、その頃の僕には分からなかったけれど、団地の外の闇の中には昼間は見えないきっといろいろなものが隠れているのだろう。今その男の人はいなくて、ひょろ長い袋だけが暗やみの中にゆらゆら揺れているのはなんとなく不気味な光景だった。

「置き忘れたのかな」
「まさか・・・。きっとなにか用事を思い出して家に帰ったのよ。トイレに行きたくなったとか、ガスの元栓の閉め忘れとか」
「きっと、森の中に入っていったんだよ」
「どうして?」
「そんな気がする」
なぜだかよくわからないけれど、森の向こうにある廃校を思い出して僕はぞっと身震いした。

 公園の周りには草が丈を伸ばし地面のあたりから虫の声がわき立っていた。

 家にもどってくると、くるみを腕からそっと降ろした。こわれもののように大事に撫でてやるとホッとしたように小さな舌で水をちびちび飲んだ。
 そんな間もふと見ると、岡田さんの家の明かりは消され、部屋の奥の小さい白熱灯がぼんやり弱い明かりをもらしていた。気がつけば岡田さんがまたベランダの目隠しの後ろに立っている。その目が一心にこちらを見つめていた。
 僕はカーテンが閉まっていなかったことに気がついて、立ち上がって勢いよくそれを閉めた。

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