ツグミ団地の人々 〈小鳥が逃げた 12〉

 「でも来るかもしれないわ」奈々がグズグズという。
この娘は昔からあきらめが悪いのだ。まあ、母子ふたりの生活だったから、それも仕方がないか、と美佐子は思う。

「今さら来れるわけないでしょう。それに、どこに住んでのかも知らないのよ」
 母親は娘の白いチュールに付いた花の位置を直そうと手を伸ばした、そのとき奈々が鏡の中の美佐子の顔をしっかりと見つめている。

「でもね、あたし住所を知ってるのよ」
「えっ」と美佐子は娘の顔を見つめた。
「なぜ知ってるの」

「一度外で会って、その時に電話番号と住所を教えてもらったのよ」
「そんなこと、あたしに一言も言わなかったじゃないの」

「言ったら、お母さん傷つくでしょう。会ったなんて聞いたらなおさらよ」
「それは、まあそうだねえ」
 母親はそれっきりぴたっと黙ると、忙しそうにその辺に置いたままのハンカチとか、ティッシュとか、さっき胸焼けがすると言って自分が飲んだ胃薬とかを片づけ始めた。

 下ばかり向いているのはどうも泣いてるらしい。奈々はかける言葉に困って、自分でもあぶらとり紙とか意味もなく小鼻の横をふいたりしていた。それから急に娘の方を向くと、
「今日だって呼べば良かったのに」といった。
「だから、お母さん・・・・・・・」

「だから、あたしの気持ちはいいのよ」
「ほんと?お母さん、実はね・・・・・・」
 奈々が決心するように言った。
「実は招待状も出したのよ」
「まあ」
「でもね。なんの返事もなかった、1年以上連絡してなかったから、もうあたしたちのことなんて忘れてしまったのね」

「娘のことを忘れてしまうわけないでしょう。たったひとりの可愛い、わが子なんだから」
「かわいかったら、結婚式くらい出席するでしょう」
 母親は、大きなため息をついてチラッと時計を見上げた。
「さあ、そろそろ式が始まるわね」

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