ツグミ団地の人々〈苦い水 5〉

 その時、入口のドアがバンと開いて、西部劇のアウトローよろしく皆川義男が肩をいからせ店内をにらみすえながら入ってきた。店に姿を見せるのは一週間ぶりだった。
 その顔にちらりと視線を走らせて、美佐子は一週間の間に、彼が鬱から完全に躁状態へ移行したのを知った。

「なんだ、しけた面したヤツらばっかだな」
 皆川はひとり言を言うと、窓際のボックス席にどさりと腰を下ろした。そして、そばに新聞と書類の束のようなものを投げ出して、「コーヒー、ブラックで」、早口に怒鳴るとすぐに猛烈な勢いで彼の仕事に取りかかり始めた。

 黒いジャンパーを羽織り作業衣のようなカーキ色のズボンをはいている。皆川はいかにもいろいろな所を渡り歩いてきたようなうさんくささを身辺に漂わせていた。腰をおろすと、もっともらしく薄っぺらい本やノート、伝票の束や、果ては掌大の電卓などもズタ袋から取り出して台の上に並べるのだった。

 太い指先が忙しく動いて書類束をめくる。ちびた鉛筆の先をなめる。一枚を抜き取ると顔の前にかざし、眼鏡を外したりつけたりして子細に点検する。いきなり椅子をけって立ち上がりすたすたと電話口に向かっていく。銀行、役所、不動産屋、行政書士、果ては風水師の類にまで電話を掛けまくり、ようやくいくらかホッとして戻ってくる。額には汗の粒を浮かべている。

 尻ポケットからしわくちゃのハンカチを取り出して顔を一撫でする。それからぎらぎらした目で店の中をひとにらみすると、また書類の上に目を落とす。煙草を一本取り出しマッチで火をつける。太い指ではさみ、せっかちに口に運ぶ。それからやおらコップをわしづかみにすると、顔を上げて一気に飲みほす。

 まるで、「危険、ちかづくな」と顔に書いてあるようだ。
 そっくり返って肩で風を切って道路を歩くし、人にぶつかってもまず謝るということをしない。あぶなっかしくて見ていられたもんじゃない。 躁になるのを見て取ると、奥さんはすぐに実印をタンスの奧に隠してしまうそうだ。手続きが大詰めに入り、いよいよ契約ということになって、実印はどこだとさわいでいるうち、潮が引き、満ちていくように次の鬱が静かに彼の内から訪れて、やがて冬眠の熊のように静かになるという寸法だ。

 この前の躁の時には、八十坪ばかりの空き地にマンションを建てようとしたが整地に入る少し前、再び鬱に入ったせいでそのまま取り残され今も草茫々の空き地のままである。
 今、皆川は、駅の反対側にある細長い駐車場を手に入れようとしてるらしい。何しろこの辺りが整備される前からの地主なのである。
 

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