抜け道 (11)

 彼の家は長命の家系だが、弟は五十を前に死んだ。出奔して数年後に病院から電話が入った。癌はもう手遅れなほど広がっていた。以前入院していたのを、無理矢理退院して、外出先で倒れ、救急車で病院に運び込まれたのだ。

 彼が駆けつけたとき、弟の顔は変わり果てていた。病室には薬と消毒薬のにおいが充ち、廊下からは、便所の隅にいくつものシビンが並んでいるのが見えた。看護婦が立っている彼のそばにやってきて、弟の来ていた衣類を手渡した。膝のすり切れたズボンに色の褪せたシャツ、それが洒落者だった弟の、最後に身につけていたものだった。

 死ぬ前、弟はひどく苦しんだ。彼は病院のベッドの横に詰めて、自分とよく似た弟の顔がやせ細り、ものすごい形相で何度も横に振れるのを見た。
「恐ろしい顔になられて・・・・・・、とても見ていられない」
 妻はそういって、細々としたものを彼に渡すほか、ほとんど見舞いには行かず、臨終の時もそばにいなかった。

 弟のやっていた「事業」は、ことごとく失敗だった。農地以外の手許に残った土地を売り払って金をつくった。いかがわしい業界紙をやっていた時には、目つきの鋭い男たちが数人、彼の家の前に現れ、弟の居場所を聞いた。彼は知らないといった。事実、その通りだったのだ。死んだ後、恐ろしいほどの借金が次から次と出てきた。彼はついに、その負債を返すことをあきらめざるをえなかった。

 彼は苦笑し、弟の顔に話しかける。
「尻拭いは、ぜんぶ俺にやらせるんだからな」
 弟はにやりと笑う。
 でもよー、兄貴、そんなことだれが頼んだ。
 ああ、だれも頼みやしなかった。ぜんぶ、俺が勝手にやったんだ。
 いつも、兄貴は正しいからな。
 そうでもないさ。
 ・・・・・・。

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