ツグミ団地の人々〈二人の散歩7〉

 商店街の外れで和菓子を売っている店に立ち寄り、店主の老人に大福餅を十個ほど包んでもらった。「おみやげにちょうど良いわね」
「で、やっぱりいくのか」
「決まってるでしょう」
「決まってないさ。このまま、まっすぐ駅に行って電車に乗ってもいいはずだ。それに……」
「それに?」
「いや、いつもたいして歓迎されてるようにも見えないからな」
「親が息子の家を訪ねて、喜ばれないはずないでしょう」

 彼らは傾斜屋根を乗せた白壁の家の前で足を止めた。日当たりのよい庭に、様々な色合いのバラが、囲いのフェンスからはみ出さんばかりに咲き誇っている。
「あいつは、俺たちよりこのバラのほうが気に入りなんだよ」
 彼はいくぶん皮肉めいた口調で言った。眉をしかめて妻がふり返る。
「そりゃ、バラの方がきれいだもの」
 門扉のあたりまで伸びたピンクのミニバラを彼は邪険にはらった。

 インターホンを押すと中で人の動く気配がして、白いドアが内側から開き、息子がステップの上から顔をのぞかせた。
「もう来るころだと思ってたよ」
 隆史は言い、
「そうでしょう」
 澄子も言って、何がおかしいのかくすくす笑う。彼は黙って、アゴの消えかけた、息子の肉付きの良い顔を見守っている。

 隆史は、二人の間に生まれたただ一人の息子で名前は隆史という。夫婦が一緒になって間もなく澄子は息子を身ごもった。一粒種の隆史を二人は溺愛した。
 一応名のある大学を出て、銀行に勤め貸付課に配属されたのだが、パニック障害になり車の運転中に「息ができなくなって」、急きょ病院に運ばれたのが去年の今ごろだった。
 やがて電車にも乗れなくなって出社も困難となった。人とのつき合いも断り、少し前、ローンで購入した家に一人閉じこもっている。手入れしない家には徐々に荒廃の気配が忍びよっていたが、庭は逆に明るいバラの花で充ちあふれている。

 隆史は玄関に入ろうとしてふと立ち止まり、眉間にしわを寄せバラの枝先に手をのばした。体の割に小さく丸まった指先で青い甲虫をつまみ上げ、足下に落とすと愛用の白いスニーカーの先で踏みつぶした。
「悪いやつなんだ。ダニみたいなもんなんだ」
 夫婦は顔を見合わせ、細くため息をつくと、息子について家の中に入っていった。
 出窓から明るい日差しが差し込んでいた。その横のテーブルについて親子はぽつぽつと話を始める。主にバラの話だ。
 昔は老後のことや息子の未来のことなど、もっといろいろな話をしたものだ。けれど未来はもう訪れてしまい、彼らは老後を迎えた。黄金色の老後とはいかないが人生に不足はつきものだ。

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