ツグミ団地の人々〈レモンパイレディ8〉

塾の帰りにバス停から家に向かって歩いているときだった。

 公園のほうから女の人が出てきた。ずいぶん体の大きな女の人だな、と思いながら見ていたが、近づいてきてすれちがう直前にあ、っと息を呑んだ。ふり返ったときにはだいぶ先まで行ってしまっていたが・・・。

 赤いバンダナを頭にかぶり、ローズ色の派手なワンピースを着ていたが、間違いなく男の人の顔だった。ごつい体の中年のおじさんで、あごには青々としたヒゲのそりあとがあった、長いすそをばさりばさりとくるぶしのあたりでゆらしながら、おじさんは棟の向こうに姿を消した。

 女装おじさんだ。僕は背中がひやりとした。ウワサには聞いていたけれど見るのは初めてだった。もう一度見たかったけれど振り向く勇気がなかった。

 数日後の土曜日、塾帰りのバスの中に近所のおばさん達がいた。おばさん達は顔を寄せるようにしてひそひそと何か話していた。僕はたまたま前の席にいたので、話し声はしっかりと聞こえてきた。

「亡くなった奥さんの服を、何かなら何までていねいにタンスの中に入れてとっておくのでしょうね」

「まさか夜は、服を抱いて寝るんじゃないかしら」

「きゃあ、気色悪い」

「だんだん、それが昂じて、女の身なりで外を歩くようになったのかもね」

「あのカッコウで、あいさつされてもほんと困る」

「だいたい、外から来たひとにも外聞が悪いでしょう」

「そうでなくても、古くなって団地の値打ちが下がってるっていうのに」

「団地管理委員会が注意するとかできないものかしら」

「そうよね。いってもわからない人には、断固とした処置を取るべきだわ」

 バスの中でおばさんたちが、ぺちゃくちゃとそんな話しをしていた。おばさんたちの口は絶え間なく動いていくらでも話しが続いていくのだった。あのときのおじさんのことだとすぐに気がついたけど、その時点では、まだ僕らの家には関係ないことだった。

 そのころ、父さんの勤めている銀行で、昇級試験というのがあって、父さんは仕事から帰ってきてもよく机に向かっていた。
「がんばってね、あなたが課長になったら、もうテープ起こしの仕事はしないわ」
「どうしてだい」
「だってお給料も上がるでしょう」

「そんなのわからないさ。上がるとしてもほんのちょっとだよ」
「まあ、それでもいいわ。それに旅行にも行きたいわね。ねえ、康ちゃん」
 母さんは機嫌がいいと、ちゃん付けで呼ぶ。試験の点数が悪いときとか、朝なかなか起きないときとかは「康平!」と大声でいう。隣にも聞こえるくらいの声で。

しっ、岡田さんに聞こえるよ」
 声をひそめて話す、この家に越してから、僕ら一家のクセになった。

 今夜は静かな夜でカリカリカリ、くるみが壁をひっかく音だけが聞こえている。 
 
 ある朝、中庭にゴミを捨てに行った母さんは、びっくりしたような顔で戻ってきた。
「たいへんよ」
僕にとも、父さんにともなくいった。
僕は起きたばかりでパジャマを着ていて父さんは銀行に行く前に髪をなでつけネクタイを締めているときだった。

「1階エントランスの掲示板に掲示が出てるのよ」

「それがうちに何か関係があるの」

「それが大ありだから困るのよ」

母さんが顔を赤らめて言った。 掲示板の内容というのはこういうものった。

by
関連記事