ツグミ団地の人々〈苦い水15〉
「僕はときどき考えるのだよ。人間はなぜ土地を離れて移動したがるのか、ということです。そして帰ってからは、なぜ憑き物が落ちたようになって、だれよりも平凡な道を歩もうとするのか。考えれば背中のあたりがヒヤッとする。どこかへいかねばならない、何かをせずにはいられない、と一時も心が安まらないのは、自分がまだ本当の意味で「出発」していないからじゃないかって。
芭蕉も、漂泊の心止みがたし、とか言って、いい爺さんになって、ひょこひょことみちのくへの旅に出かけ、弟子の者たちにさんざん心配かけたという。旅に病んで、魂が枯れ野にさまよい出たというじゃないか。それこそ本望だったんじゃないか。さまよえない魂こそ救われないのかもしれないな」
そう言って平八は少し黙った。皆川は、しらけたように横を向いているが聞いていたのは確かだ。
故郷の者たちは、今もあの一件で優秀な人間たちが根絶やしにされたと嘆いている。まったく、ろくな者は残らなかった。その子孫が自分たちなのだから、間の抜けた話だよ。くにの人間たちに呆れるのは、そんなマヌケ話をくり返しつつ。どこかでそれを誇っていることさ。
だいたい天狗であったものが、その後平凡な一農夫として生きていけるものだろうか。「発而皆中節」の五文字が、頭をよぎることはなかったろうか。
昼日中、畑の真ん中で、目の前にいきなり漆黒の闇が現れることはなかったのか。そうなったらもうのがれられない。一筋の光も入らない鯡蔵に、人の身動きする気配だけ感じて座っているんだ。便所は中央に置かれた桶一つ。それを使う侘びしい音。その暗闇がその後のひい爺さんを黙らせたのか、移動の夢がついえたことが黙らせたのか。よくわからんが。
僕は、杉木立に囲まれた畑の真ん中にひい爺さんの後ろ姿を見る。ひょいと振り向けば目はらんらんらんと輝き、見果てぬ夢の切れ端を目の淵にたたえ、農具を足許に置いて、効かない右足を手でかばいながら、ヒョッコリ、ヒョッコリと畑を抜け出して出ていく。
鎌も鍬も何もかも畑の真ん中へ放り出して。百姓らしい背の丸まった後ろ姿で、踊るような足取りで。そこを出ればもう戻る所など金輪際ないと思い定めてね。