眠り草 (9)
その日聡子は、館内の食堂で早めに夕食をすませると、部屋の中で静かに時間を過ごした。慣れるまでに時間がかかるかもしれない。ここは静かすぎる。その静けさが聡子を身震いさせる。あの温もりのある兄妹との生活と、自分は完全に決別してきたのだ。
外のベランダには今、静かに夜の闇が覆いかぶさろうとしていた。闇の向こうにいくつかのプランターや鉢が白く並んでいるのが見える。植物好きの聡子のために健司があらかじめ送っておいてくれたものだ。
「そうだわ」彼女は立ち上がってベランダに出た。やや風があるのか、薄暗い中に植物の葉が細かく震えている。
「ああ、やはり眠り草だ」
荻田家でのある一夜を聡子は思い出している。その日は、仕事上の客がきていたので、父親は子供たちの相手をしていられず、子供たちは寝る時間までずっと聡子の部屋で過ごしたのだ。
部屋の外には裏庭が広がっている。庭にはさまざまな植物が生い茂り、兄妹は靴を履くのももどかしく外に走っていく。そして、どんどん庭の奥へと向かっていく。
「ダメよ、そんなに、はやく行っちゃ」
「イヤだよー」健司が叫ぶ。
急いで茂みをかきわけていくと、健司が地面にしゃがみ込んでいるのが見える。
「健ちゃん、どうしたの」心配して聡子が走り寄っていく。
「しゃがんでると露で体がぬれてしまうわよ」
「おばちゃん、あるくのずいぶんおそいね」
健司が大人びた口調でいう。美咲がその横にしゃがみ、葉っぱを指先でつまんで首を傾げている。 そして、「おばちゃん、見て」甘えた口調でいう。
その頃、美咲はあまり口をきかなかったけれど、何をしていても「おばちゃん、見て」というのが癖だった。そして、そんなとき聡子は、何をおいても子供たちのそばに走っていったのだ。
「こうしてさわると、葉っぱがとじるんだよ。ふしぎだなー」
健司がギザギザの葉っぱを指先でつまみ大人びた口調でいう。葉っぱは健司の手の下で静かにうなだれていく。「わぁ、おもしろい」美咲が声をあげる。
「ほんとね」聡子はやさしくうなずく。
「オジギソウっていうのよ。おじぎするみたいでしょう」
「ほんとだ」
「別名、眠り草っていうのよ」
「ネムリソウ・・・・・・?」
「そう、眠ってしまうの」
「もっとねむらせようよ」
二人の子の指の間でオジギソウは次々と葉を閉じていく。子供たちは小さく笑い声をあげ飽きずに遊びをつづけていく。やがて「みんな、ねむっちゃったね」美咲がいう
「そうだな」健司がうなずく。
「さあ、もう、お部屋に戻りましょう」
「いやだよ、もうちょっと、あそぶんだ」めずらしく健司が反抗する。
「ダメよ、けんちゃん、夜にはみんな葉を閉じて眠るのよ。さあ、あなたたちも良い子にして、お布団に入りましょう」
そういい聞かせて月明かりの中、部屋に戻ったのだ。
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