平安時代の有名なエッセイストといえば清少納言です。「枕草子」にある、華やかさや強気と裏腹の哀しみとは?
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宮廷人の憧れ 定子サロン
平安時代の有名なエッセイストといえば清少納言。
清少納言は一条天皇の御代、中宮定子に仕えた女房です。
当時定子の周りには知的な女房が集まり、文学サロンのような雰囲気をつくり出していました。中でも清少納言は賢くて才気煥発(さいきかんぱつ)、知性や才能が外にあふれ出している女房でした。
有名な「香炉峰の雪」エピソード
またプライドが高く、ちょっと驕慢なイメージもあります。それは有名な「香炉峰の雪」のエピソードのせいでしょう。
雪の降った朝、寒さのせいで女房たちが御格子をさげたままにしていると、中宮定子が入ってきて、いきなり清少納言に問いかけました。
「清少納言よ、香炉峰の雪いかならん」(香炉峰の雪はどうなのかしら?)と。
清少納言はすぐに察して、御格子をあげさせ、御簾をするすると巻きあげました。
唐の詩人 白楽天の漢詩の一節「香炉峰の雪は簾を撥げて看る(香炉峰の雪は、すだれを高く上げて見るものだ)」をふまえたものでした。
回りの女房たちも、ああ、と思ったでしょうね。
定子の母は高階貴子といって、学者を多数輩出した高階氏の出身。女性に学ぶ必要がないとされた漢学や漢詩への深い素養のある方でした。
定子もまた、母親譲りの才気あふれる女性でしたから、こんな打てば響くような受けこたえが大好きでした。清少納言も定子の期待に応えられてさぞ嬉しかったことでしょう。
はなやかな描写で埋めるの
けれどここを目にした人の中には、
「ちょっと自慢が過ぎるのじゃない?」
と、思った人もいたでしょう。わたしもそんなひとりでした。
また、「紫式部日記」の中でも
「清少納言はそれほどでもない漢詩の知識をひけらかして、鼻につくわ」
のようなことを書かれ、さんざんです。
当時、「枕草子」の記述の華やかさとは裏腹に、一条天皇の宮中で、中宮定子の立場は徐々に弱まっていました。
それは、時の権力者 藤原道長の娘 彰子が入内してきたからです。
ですから、なおさら清少納言は、定子とそのサロンの素晴らしさをこれでもかというくらい、必死に書き綴ったのでしょう。
東山月輪の庵で冥福祈る
第二子出産がもとで中宮定子がなくなると、青少納言はそれを機に宮仕えをやめます。
定子は、東山の鳥辺野(とりべの)に埋葬されました。
清少納言はあとを追うように、近くの東山月輪の庵に住みました。そこで定子の冥福を祈り続けたのでしょう。
あるとき庵の前を、通りかかった男がからかって、
「清少納言も落ちぶれたものだ」
というと、凄い形相で庵から出てきて、
「駿馬の骨を買わないのか」
と怒鳴ったとされます。
小気味よいほどの気の強さですね。
きっと清少納言の心の中には、いつまでも気高く美しい中宮定子の面影があったのでしょう。
わたしには中宮定子と清少納言の関係そのものが、美しい詩のように思えます。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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