『若い読者のための短編小説案内』(村上春樹)。特に「静物」(庄野潤三)について思うこと

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

『若い読者のための短編小説案内』(村上春樹、文春文庫)

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村上春樹氏の著書に「若い読者のための短編小説案内」というのがあります。
この中で、村上氏が取り上げている小説については皆さん興味があると思います。

取り上げて論じられているのは次の6作品です。
この中であなたは何冊読んでますか。

吉行淳之介 『水の畔り』
小島信夫 『馬』
安岡章太郎 『ガラスの靴』
庄野潤三 『静物』
丸谷才一 『樹影譚』
長谷川四郎 『阿久正の話』

いかがですか。
安岡章太郎の「ガラスの靴」は、まだ若い頃に読みました。きっちりとしていて夢もある素敵な作品でした。もう一度読み返してみたくなりました。

不思議でちょっと怖い『静物』

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庄野潤三 の「静物」(新潮文庫)では、主人公が子どもと会話する中で、徐々に心が救われていくような、そんな作品になっています。

それにしても不思議な小説です。ぬいぐるみの話をしたり、子どもと釣り堀にいったり、淡々とした日常の描写の中にいきなり、不吉で不穏な出来事、文章が紛れ込んできます。

静物のように硬直した妻の姿

例えば、湯たんぽで火傷した妻についての記述。

「男はひっそりとした家の中で少しびっこをひきながら歩いている妻の姿を思い浮かべた」

ここを読んだとき、ゾクッとしました。この一文のみで描かれる妻の姿。まるで妻の姿そのものが静物であるかのように。
また、

「今ブラウスを縫っている女の子が自分の家庭で起った出来事を知らずに済んだのは、その時まだ幼かったからだ。彼女は眠り続ける母を見ても、その意味がわからなかった。
 誰かの見えない手がそっと彼女の目に蓋をしてくれたのだ」


このときも、子どもの気持ちに添っているが、多分、自○を図り、眠り続ける妻はやはり静物のようにしか描かれていない。

子どもと父の無垢な世界

それとは対照的に、子どもたちを描くシーン、子どもたちと昆虫や金魚との交流など夏休みの標本箱を見ているような。そんなときに、妻はどんな姿でどこにいるのだろうとふと考えてしまう。

意識的に妻が加わることを回避してるのでしょうか。
私が妻の立場だから余計にそう思ってしまうのかもしれませんね。

後の「夕べの雲」ではこの雰囲気がさらに強調され浄化されて、山の上の家を舞台にした、子どもたちと父親のやり取りを中心にした美しいファミリーストーリーになっています。

けれど、ここでも妻が出てくると、その存在が無関心さや不穏を孕み、ただのコードのようにしか見えないのはどうしてでしょう。

後に庄野潤三氏の日常生活を書いたエッセイを、文芸誌でたびたび見かけました。
銘店の美味な食べ物、差し入れ、関西へ向かう特急電車の中で食べるサンドイッチ、宝塚観劇、いずれに対しても良かった!うれしい!という感想。

そのような日々の楽しみでつづられた文章。もう、それしか言わないぞ、という強い決意でもあるように。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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