『源氏物語』江戸時代に人気がなかったのはなぜ・・・?
んにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

「源氏物語」は、願平安時代に出来上がり、すぐに宮廷の人々中心に広く読まれるようになりました。おば上に全巻贈られて夜も寝ないで読みふけった少女もいたとかです。
そんなに人気の「源氏物語」ですが、男性の間にはやはり評価が低かったのでしょうか。
前から不思議で仕方がなかったのですが、これほど栄えた王朝文学が後生、特に江戸時代などに人々の間で読まれたという話を聞かないことです。広がりが途絶えてしまいました。
江戸時代には蔦屋重三郎などでもおなじみのように、黄表紙ほか、出版業は盛んになりましたが、あの王朝文学のような流麗な文章で綴られた作品も、長編といえるようなものもありません。
八犬伝などありますが、やはり男性中心の武闘ものというか、お堅い内容のように感じられます。
そしてやっと明治期になり、西洋の影響を受けながら作家たちの間で徐々に新しい小説を作ろうという意識が悪戦苦闘されたのでしょう。そんな中で、『暗夜行路』などの作品も生まれましたが、千年も前の作品とはまったく異質なものになっています。
先日、丸谷才一氏の「星のあひびき」という評論というかエッセイを読みました。そのなかに『源氏物語』について書かれたところがあります。やはり『源氏物語』は人々によって忌避されていたようです。
というのは、この中で、源氏との恋の間で生まれた子が帝になる、これはけしからん、ということのようでした。
実は、『源氏物語』を最初に読んだときから、その下りの部分が気になって、当時なぜその展開で大丈夫だったのだろうか、と思ったのです。それを書いた人は、まったく、何者をも怖れない人、ひょっとしたら、藤原道長自身が書いたのではないかと思えるほどでした。
丸谷氏には「輝く日の宮」という長編小説があります。この小説内では、現代の若い女性が源氏物語について調べていくような形になっています。
想定されているのは、作者はもちろん紫式部ですが、道長がまるで編集者のように身近にいて、寝物語の中で自分の体験を話したり、いろいろ助言し、まるでもうひとりの作者のよう寄り添っていたのではないか。
さらに、前半に光源氏と藤壺の逢瀬を書いた巻があったのではないかと想定しています。
この部分は、道長と紫式部のやりとりのようになっていて、道長は、「ここは、ないほうがいい。あると執着するだろう」そういって、紫式部の目のまで火鉢の火にくべてしまうのです。苦労して書いた巻です。紫式部は一瞬、ええ、と思いますが、やがて、あれで良かったのだろう。と思うようになります。
幻の巻「輝く日の宮」ですね。
そして、興味深いのは『輝く日の宮』という本の末尾に、丸谷氏の書かれた「輝く日の宮」の巻が挿入されていることです。ここは興味深いです。ぜひ読んで見てください。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。









