大河「鎌倉殿の13人」 / 義時がついに目覚め、畠山重忠も凜々しい馬上の姿で登場!
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
「鎌倉殿の13人」
13日ついに、畠山重忠が兵を率いて登場。
ハッとして、しばし見つめてしまった。
凜々しい馬上姿、中川大志さんはまさしくイメージ通り。
畠山重忠は、私の住む横浜市旭区ゆかりの武将。その史跡が区内の各所に残っている。
どのような史跡かというとネタバレになるので(^_^;)
ここでは、いわないが、横浜市旭区の人々には、密かな畠山重忠ファンが多いということだけお伝えしておこう。
それはともかく、
13日の放送では頼朝らはよくぞ命が助かったと思うくらい、ハラハラするシーンの連続。
頼朝が隠れていた洞窟は、平家方の梶原景時に見つけられてしまうが、
梶原景時は、見なかったことにして(^_^;)立ち去る。
意外だった(^_^;)
この伏線が後半にどう生きてくるのか・・・楽しみ。
その後、頼朝や北条義時は必死に舟をこいで安房に向かう。
こんな小舟でほんとうに行ったのか。
命がいくらあっても足りないだろう。仕方がないか。戦闘中だから(汗)
安房で、頼朝は、あんな思いはこりごりだとして
「もう、やめたー」
という。
けれど兄がなくなって嫡男になり、顔つきまで凜々しくなった義時(小栗旬さん)は、
頼朝をいさめる。
「佑殿がやらないなら、自分たちだけでも戦う」と。
ついに目覚めた義時。
さすが、板東武者!
たしか、畠山重忠は、安房から頼朝の陣に入るはず。
畠山の軍勢が加わったら、どんなに心強いことか。
何しろ、畠山公といえば、のちに義経とともに平氏と戦い、
有名な「ひよどり越え」では、馬に険しい山道を走らせるのは哀れ、と、
自身で、馬を背負って駆けおりたとされる伝説の持ち主。
嘘だと思ったら、深谷市のホームページを見てほしい。
強く、やさしく、見目麗しいと3拍子そろっ武将。
その上、音楽の才もあり、のちに鶴岡八幡宮で、静御前が義経をしのび舞を舞った際は、銅拍子を打って伴奏したという。
出生地の埼玉県深谷市や、横浜市旭区には、多くの史跡があるのでぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。
旭区を<いざ鎌倉!>目指して駆け抜ける・・・歴史を身近に感じます!
区役所駐車場に「首洗の井戸」がありますが、最近標識が目立たなくなり、却ってきにかなる・・・