グリーンベルト (35)
「まあ、あなたが、あれほど勧めなきゃ、きっと来なかったと思うわ」
君江さんは冷静に言った。
「もしこれで、あなたの家に何かあったら、あたしにも責任があるのよ」
葉子さんが興奮して言った。普段はとても親切で面倒見のいい人なのだが、ただひとつの欠点は自分の善意が踏みにじられるとカーッとなることだ。
「ふん、偽善者ね。そんな気持ちないくせに」
それを聞くと、葉子さんはフーッとため息をついた。「あたしだって」
「え、何?」
「言わないでおくわ」
「話しなさいよ。人にだけ言わせておいて」
「深刻すぎると人には言えないものなのよ」
「ほんとうかしら」
君江さんが疑り深そうな顔で言った。
「言ってしまえば、すっきりするわよ」
「別にスッキリしなくていい。ああ、ああ、あなたと一緒にいるのはもうこれ以上一分だった我慢できないわ」
まるで英語をそのまま日本語にしたような言い方である。考えてみればグリーンベルトのヘレンの家に行く前から、ずっとそんな話し方をしていたような気がする。
君江さんは枕のひとつを抱え、洗面所に向かった。体を一方に傾けるような不安定な歩き方だった。そして中に入ったきり小一時間も出てこない。私は葉子さんに目で合図すると、仕方なさそうに立ち上がりのろのろと洗面所まで行った。
ドアノブを引っ張ると簡単に開いた。バスタブの中にバスタオルを敷いて君江さんがじっと横たわっているのが見えた。胸の上で両手を組み目を閉じている。どきりとした。まるで棺桶に入っているみたいだ。
君江さんがパチリと目を開けた。
「あたしのこと死んでると思ったでしょう」
図星だった。「何を言うの」しどろもどろで私は言った。
「君江さん、ちゃんとベッドの上で寝た方がいいわよ。それにトイレが使えなくて不便だから」
「それもそうね」
君江さんはあっさりと言ってバスタブから出ると、部屋に戻ってきた。
葉子さんは背中を向けて横になっていた。
「おやすみ」君江さんが背中に向かって言った。
「おやすみ」葉子さんが眠そうな声で応えた。
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