ツグミ団地の人々〈二人の散歩13〉
横のボックス席に座った男女が話している。
「いい加減、みんな引っ越していけばいいのにね」
「限界団地っていわれてるらしいな」
「おお、怖い」
「それにあそこの森」
「ちょっとどこのこと話してるの? 失礼じゃない」
里子が聞きとがめるように後ろを振り向いていった。
見たことがない顔だから、きっと近くにある部品会社か卸売り会社の従業員ででもあるのだろう。里子は本当は気が小さいのに、キレやすいのだ。美容院でもお客とけんかして辞めさせられたことがあるという。
二人の客は、気まずそうに金を払うとコソコソと出て行った。
よそから来た人も話してるくらいだから、やはり森のウワサは本当なのだろう。
団地の南側には海からの風よけなのか東西に広がった森がある。どこが管理しているのかわからない森だ。きっと私有林なのだろう。それにだれもそんなことを気にしていない。
森は雑木林で丈も枝も伸び放題だ。森の中には細い遊歩道がある。中は昼でも暗い。
「この人ね。なんだか知らないけど、夕方になると勝手に一人で出かけて行ってしまうのよ」
澄子が急に口をはさんだ。
「たまには走らないと体がなまってしまうからな」
彼は弁解じみていった。
「バカみたい。もういい歳になって無理して走ることないのに」
「いや無理はしてない」
彼は昨日も森の中を走った。すだちの森は暗くて、団地のそばにあると思えないような結構深い森だ。
森の中には西方面に向かって伸びている道がある。そこは、過去の人に会える道と言われている。道を通る者は滅多にいない。けれど、ときどきは人に会う。それはみんな過去の人なのだという。
黙々とジョギングしていたり。森の中にある小さな日だまりのような空き地でシュッとゴルフクラブを振っている男がいたという。それは、かつて団地のゴルフサークルの会長をしていた男だった。いつものように赤ら顔で、肩に白いタオルをかけて熱そうに顔をぬぐっていた。
こんにちは、と話しかけそうになって、よく考えたら数年前に亡くなったのを急に思い出したという。急に思い出したという。それで挨拶も早々、逃げるように引き返してきたのだという。
同じ棟の村沢さんの話なのだがホントか嘘かはわからない。
ジョギングをしていると、同じように走っている老人とすれ違う。みんな寡黙で一心に走っているのでとても話しかけるような雰囲気ではない。だから生者か死者かは確かめようがない。
数週間前、前を走っているのが比較的若い男性だと気がついた。トレーニングパンツが隆史の中学の時のとそっくりでやや猫背の太り肉の体もそっくりだった。まさか、息子の隆史かと思い、急いで走って追いつき、顔を見て確かめようと思うのだが、どうしても確かめられない。
それが二回ほどあったので、ああ、もしかしたらと胸騒ぎがした。
けれど今日息子は無事だった。それが彼にとって何よりの安心なのだ。それを妻に話してやろうかと思うが、どうせ馬鹿にされるのがオチだろう。また会ったらどうしよう。いや、いっそ、もう走るのをやめようかとも思う。