魂を呼び戻そうと病床の回りで「へ、へ」と踊りつづける皆さん。熱い友情のシーンでした。蔦重がいなければ歌麿も、北斎も、八犬伝も生まれなかったでしょう

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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先週予告編で、輪になって「へ、へ」と踊ってるのを見たが
まさかそこが蔦屋重三郎最期のシーンで、
病人を囲んで踊っていたとは。
ここ感動しました。

江戸の出版界をリードし、数々の才能を発揮して・・・
との、改めての解説も心に残った。涙

病気になってから、一段と感性が研ぎ澄まされ、
見立てが鋭くなった蔦重。その気迫に押されるようにして、
次々と制作に向かう作家たち。
滝沢馬琴は「八犬伝」を書いた。

「少し長いものが、あなたの筆には向いてますぜ」。
という素晴しいアドバイスも。

また、十返舎一九には、
「江戸を離れた旅行記のようなものを」と。

ここに、わが国初の庶民の旅行記(珍道中)である
「東海道中膝栗毛」も産まれることになる!

病になり、ますます冴え渡る蔦重。そしてこの間も、
蔦重なき後のことを、戒名から店のことまで、
こまごま整えてしまうおていさん。
この律儀さがおかしい。

蔦屋重三郎の存在がなければ、あるいは喜多川歌麿も、
北斎もいなければ、八犬伝などの名作も
生まれなかったかも知れない。まことに蔦重は偉大だ。
日本の出版界に果たした功績は言い尽くせない。

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最後に助稲荷がきてくれてよかったね、と思ったが、
いや、あれはお迎えだから・・・(__;)
蔦重には、さぞ、ドッキリだったことでしょう。

脚気は、当時、江戸わずらいとかいわれたようですね。
江戸を外れれば、きっと、糠とか玄米とか食べて

脚気も治ったかも知れないけれど、
生粋の江戸っ子の蔦重にそれは難しかったことでしょう。

蔦重の横浜流星さん、1年間の熱演ほんとうにお疲れさまでした。

「両国花火」喜多川歌麿 Col Baseからお借りしました

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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