グリーンベルト(17)

 もうひとりの客は七十いくつかの、岩のようにごつごつした顔のやもめの男だった。褪めたような色のポロシャツを着て、ほとんど黙ったまま隅の席に座っている。ボブさんや夫婦者のどちらかが話しかけると、紙をがさがさつぶすような声で低く答えた。
 ヘレンがその男が描いた本があると探して持ってくると、本の表紙には経済学関係の難しそうな題名がついていた。

「俺の息子は今コーベに住んでる。日本人のガールフレンドもいるんだ」
 元高校教師の男が少々得意げにいった。やもめの男が低い声できいた。
「二人は何語で話すのかね」
「英語と日本語の両方だ」
「そりゃあ、いい。話が通じるってのは、いいことだ」

 やもめの男は頭をふり「俺は南米の生まれなんだ」といった。
「アメリカで結婚して、それから妻と一緒に南米で十年ほど暮らした。スペイン語には不自由しなかったから、あちこち遊び歩いた。だが帰ってくると、妻が暗い顔で家にいた。妻はスペイン語ができなかったから外に出るのを嫌がったんだ」
「おお」
 ヘレンがカールした柔らかな銀髪の頭をふった。男は続けていった。

「その頃は妻の気持ちを考えなかった。俺は人に会うのがおもしろくてたまらなかったんだ。ところが、次に俺たちが行ったのは中国だった。中国語なんてまるでできなかったから、今度は二人して家に閉じこもってたってわけさ。妻の気持ちがやっとわかったよ。人と話ができないってのは寂しいものだ」
 やもめの男は苦笑いして黙った。

「それで、今は二人でハッピーに暮らしてるんでしょう」
 葉子さんがきいた。
「十二年前、妻は急に南米に帰ってしまったよ。迎えに行ったのは二年後だ」

「奥さんはどうしてたの」
「どうしてたかって?」
 やもめの男は少し黙ると、皮肉そうな笑みを浮かべて行った。
「なんにも。何もしてなかった。死んでたんだ。死んでから一年も経っていた。俺があいつのことを憎んでいる間もずっと、あいつは墓の中にいたんだ」
「まあ・・・・・・」
 葉子さんは思わず日本語でいったあと「お気の毒に・・・・・・」急いで英語で付け加えた。
 そのあと、やもめの男は長いこと黙り込んでいた。

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