グリーンベルト (15)

 やれやれと、テーブルの上のチョップスティックを手に取ると、ヘレンは一寸疲れたように窓の外に目をやった。青々とよく育った芝生が中庭に広がり、その手前に桜に似たゴツゴツした幹の木が若い葉っぱを枝いっぱいにつけていた。

 奥に数本並んで生えている木々は幹のかなり低いところから枝を伸ばし、硬そうな葉を茂らせその下の地面は陰って、背後に木々を密生させた森が深々と迫っている。

 森の奥は暗く静かで、生き物の気配はなく緑が目に沁みてふとヘレンのほうを見ると、背をかがめ、パンを小さくちぎっては黙々と口に運んでいる。その隣ではボブさんが嬉しそうにそんなヘレンを見つめて笑っている。

 食事の時、二人はいつもこうして並んで森を見て食べているのだろう。
 ヘレンがふとボブさんの視線を感じて、そちらを見ると夫に微笑みかけた。その表情が一寸不安そうに見えたので私は驚いた。
 ヘレンの体がふいに小さくしぼんで見えた。きっと会わずにいた二年間は、ヘレンの年頃の、そう七〇歳を過ぎた人にとっては体にある何かを加えるに十分な長さだった。

 庭にはぽつんぽつんと木々が孤立して立っていた。その後ろには森が暗い口をあけてしーんと静まりかえっている。隙あらば人も家も飲み込んでやろうと狙っているのだ。ヘレンはそれに気づかないのだろうか。 

 今でもあの暗くて深い森を思い出すと怖くなるのよ」
「ほーう」
 恵子さんが言った。
「そんな、うなずき方やめて。揶揄われてるような気がするわ。それにまるで、おじさんみたいよ」「そうですか。ちょっと可笑しかったから」
「え、どこが」私は一寸気を悪くして言った。
「だって、森が人を食うだなんて。あんなにきれいなのに。森はいつだって人を癒やしてくれますよ」

 恵子さんはガラスを拭いていた手をとめて窓の外を見る。
「まあ、おめでたい人ね。それは、あなたが森の怖さを知らないからよ」
「そんなもんでしょうかね」
「そうよ、なんとかして人を追い出して、元の森にもどしてしまいたいの、あいつらは」
「あいつら?」
 恵子さんは慌てて私から目を逸らした。今日も、帰った後、私の様子をケアマネに報告しようかどうか悩むに違いない。でも本当のところ、もうどちらでもいいのだ。

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