宮沢賢治の妹とし子は美貌で、花巻高等女学校一の秀才だった

花巻高等女学校の教師時代のとし子

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宮沢賢治の妹とし子は美貌で、花巻高等女学校一の秀才だった

以前、妹を亡くした際の、宮沢賢治の詩について書いた。
「永訣の朝」

妹のとし子は美しく、花巻高等女学校一の秀才と言われた。賢治の詩や童話への理解も深く、賢治の詩編を美しい文字で清書してくれたという。
それだけに亡くなったときの賢治の悲しみは深かった。
精神の均衡も失っていたのか、霊界からテレパシーによってとし子の知らせを受け取るのだと、当時日本領だったサハリンに向かった。
もちろん、それは無駄に終わり失意のうちに帰りの汽車に乗る。

夜汽車の車両がきしむ音をさせて進む中、賢治は亡くなる少し前、妹が森に行きたがったことを思い出す。そして書いた詩がこちら。

噴火湾(ノクターン)
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七月末のそのころに
思い余ったやうにトシ子が言った
《おらあど死んでもいゝはんて
 あの林の中さ行ぐだい
 うごいて熱は高くなっても
 あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて》
鳥のやうに栗鼠のやうに
そんなにさはやかな林を恋ひ
 ・・・・・・・・・・・・・・・


この林は、二人が子どもの頃に遊んだ林なのだろうか。
そこで、小鳥のように、栗鼠のように転げまわって遊んだのだろうか。
読んでいてつらくなるほど賢治の喪失感が強い。それとともに、高等女学校で教師をしていた才能ある若い女性の死を深く悼む気持ちになる。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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