「22世紀の民主主義」(成田悠輔)/「民主主義が意識を失って」いる今、その先にあるものは?

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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成田悠輔さんの「22世紀の民主主義」という本を読んだ。
その初めの方の部分にこう書かれている。

「今世紀の政治は、勃興するインターネットやSNSを通じた草の根グローバル民主主義を夢見ながらはじまった」

まったく新しい世界が始まるかのようだった。まあ、わたしなどは、どうせついていけないが、次の世代が新しい時代の扉を開くのを、楽しく見学させてもらおうと思っていた。

けれど、3年前コロナが流行り始めた頃から、妙な悪夢の中にはまり込んだような気持ちが消えない。しかもその悪夢ときたら現実とそっくりなのだ。

それだけではない。政治は長く停滞し、国会もまるで機能していないように見える。テレビやネットで見ていても政治家たちは何かの茶番を演じているようにしか見えない。

そんな中で、手にしたのが成田悠輔さんの「22世紀の民主主義」。

成田さんは、今、テレビやネットでも大注目の人だ。若くて、知性的で、アメリカのイェール大学の助教授。ほかにもいくつかの大学で教鞭を取られているようだ。

まず、本のカバーに書かれた言葉が目をひく。

「民主主義が意識を失っている間に
手綱を失った資本主義は加速している―」

全世紀の末まで、民主主義と資本主義は手綱をそろえて進んできたし、これからもうまくいくだろうと思えていた。けれど、日本だけでなく世界を見ても、民主主義はもう機能してないんじゃないか、 成田さんはそんな疑問を提示している。

民主主義が気を失って

私などから見ても民主主義がうまくいってないのに、よく資本主義が機能してるな、と思う。まあ、実際、綱わかりのような状況なのだろうか。
そんな中で、資本主義だけがうまく機能するとは思えない。

また本の中で、アリストテレスの「政治学」からの言葉を引用。

「極端な民主主義から(・・・)独裁制は生じる」

このことばに、思い当たる人も多いのではないだろうか。

また、成田さんは本の中の「シルバー民主主義の絶望と妄想の間で」でこう書いている。

「民主主義の呪いの主成分の一つは、民主主義国家の政治や政策が閉鎖的で近視眼的になってきていることだった」

たぶん、一般の人々にはそれがよく見えている。けれど政治家には見えていない。そこに、今の悲劇があるようだ・・・・・・。

また、民主主義の基本といわれる選挙も、選ばれた政治家は人々の考えを反映していない。

そんな中で、まったく新しい選挙のやり方や、政治的な決定の仕方が提案される。
「民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか」が大事なのだという。
人々の行動、意識、無意識などさまざまな要素を人々の声として吸い取り、アルゴリズムによって政策を導くというもの。

「無意識民主主義」というのか・・・。しかし私はこのあたりからついていけなくなった。

私が年を取っているせいもある。成田さんの描く民主主義のプランはすばらしい。けれど、きっとそれを見る前に私の寿命はつきるだろう、そんな絶望的な気持ちに捕らわれてしまった。



今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら

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