若いうちの独り暮らしは孤独だけどロマンチック、高齢者の独り暮らしは孤独で侘しい
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

以前、X(旧ツイッター)でこんなことをつぶやいた。
「若いときの一人暮らしはロマンチックですが、年をとっての一人暮らしはわびしく時に孤独です。それには、よほどの覚悟が必要。
一生連れ添える人がそばにいてくれれば、それだけでずいぶん楽に生きられます。」
と、偉そうに。
たしか、何かの話に、独り暮らしの寂しい少女が出てきて、お月様が見守るというような話だったか? 寂しいけれどそれはそれで美しくロマンチック。でも50年後も同じ少女が1人なら、それは大変孤独で寂しくつらいものになるでしょう?
さらに、独り暮らしを選ぶ人は「ほんとうの孤独を分かっていないんでしょう」とまで書いた(__;)
実はわたしもほんとの孤独なんてものは、わかってるようで、わかってないのかもしれない。
孤独っていったいなんでしょう。
最近、雑誌やネットの高齢者向けの記事に、
「本来人は孤独がいいんだよ」
と推奨していたりする。
やっぱり本当の孤独をわかってないんじゃないかな、と?
孤独は人によってしか埋められない。
例えば、ずっとパソコンや、スマホに向かっていて、いろいろな人のツィートを読んでいると、なぜか大勢の人と会っていたように錯覚する。けれどノートパソコンを閉じて考えれば、たったひとりのわたしがいる。
気がつけば、一日とんど人と会っていなかったような(__;)
例えば、特に仲の良くない夫婦でも、一方がいなくなると、残された人の孤独は大変なものになるという。だれか自分を見てくれる相手がいることで、人は人になれる。
人として成り立つような。
だから、見てくれる対象がいなくなれば、もう人は人でさえなくなるのかもしれない。
孤独は寂しいというだけでなく、存在そのものを見失わせる、そんな怖さもある気がします。
人は自分を見て反応してくれる人がいてこその人間なのでしょう。家族や仲間が必要。貧しく寂しく孤独な・・・と、こんな形容詞をいくら並べても、若い内ならへっちゃらでしょうが、高齢者には悲しくその過酷さは想像を絶するものがあります。
家族がいればそのつらさは半減し、話し合い笑い合うことで人は心の平穏を保てるのではないでしょうか。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。