グリーンベルト(3)

 もう、かれこれ30年近く前になる。わたしたちは、ワシントンD.C.のメトロセンター駅から地下鉄に乗った。朝、ホテルの縦長の窓から空を見上げると、どんよりとして、昨日までの暑さが嘘のように陰鬱な朝だった。アメリカに来て2日目の朝を迎えていた。

 電車が走り出してすぐに、葉子さんがガイドブックから顔を上げた。
「まあ、いけない。次で乗り換えだわ」
 私たちはあわてて電車を降り、穿たれた巨大な腔のような通路をたどって別のホームへ移動した。途中の通路は薄暗く、迷うほどだった。葉子さんの背中を見逃さないように必死でついていった。

 階段を上がって別のホームに着いたがやはり暗いままで、たがいの顔はよく見えなかった。
「まるで、深い森の中にいるみたいね」君江さんが言って、わたしの手をにぎった。一寸汗ばんだ冷たい手だった。君江さんは色白の細面の美人で慎重な性格の人である。その白い顔さえうす暗いホームの上にはボーッと浮かんで見えるほどなのだ。

 そう、昔はじめて入植したピルグリムファーザーズの人々が、後悔で後悔でアメリカ大陸にたどりつき広大な森の深さと暗闇に怯えさせられたように、私たちも暗闇に取り残された子供のようだった。

「こわいわね」
 私が言うと、「何よ今さら。だったら来なきゃよかったのに」葉子さんが一寸強い口調で言った。来なかったら、と言うのが、今日のことかそれが、アメリカにって意味なのか、今日のことを言ってるのかよくわからない。
 だいたい着いて2日目から、葉子さんと君江さんの間には、軽い諍いがあったのよ。まあ、夕方までには仲直りしたけれど、それが尾を引いていてもうひとつ3人の仲はギクシャクしていたわ。わたしは間に立って、結構おろおろすることも多かったの。

 やがて光を投げかけながら金属の車体がホームに入ってくると私たちはそれに乗り込み、少し落ち着いてから腕時計で時間を確認した。それほど遅れてはいないようだ。

 今、向かっているのはヘレンの家だ。ワシントンD.C.から電車で30分ほどの郊外にある。そしてわたしたちは、今日初めて地下鉄に乗ったのだ。私について言えば、ワシントンD.C.に地下鉄があるなんてことも知らなかった。

 お客はまばらで、ほとんどの人が褐色や茶色の肌の人々。ある駅に停車すると、とても背の高い、髪をいくえにも子房に分けた女性が乗りこんできて、私たちの近くにすわった。一瞬、切れ長のまなじりを張ってわたしたちを見つめたがすぐに関心をなくし、うずくまるような姿勢で体を丸くし眠ってしまった。

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