終活というのは残された者に対して、いろいろ指図するってことなのでしょうか。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

よく養老孟司さんのYouTubeを聴いている。
その理由は楽しいからだ、楽しくて発想の転換ができるからだ。

いままで常識と思っていたことが、実は違うんじゃないかと思ったり。そして、そう思っているのは私だけじゃないと気がついたり。

わが家にももう一人ファンがいる。わが息子、次男さんで、もともとYouTubeなんてご縁がなかったのに、養老先生ファンの次男さんに勧められて聴くようになったのだ。

気がつけば、しょっちゅう聴いている。
そして、最近衝撃だったのが、

「今の人は死なないつもりでいる」

という言葉だった。

人はだれでも死にます。致死率100パーセント。それは頭ではわかっている。けれど、ついついそれを忘れ、なんとなくずっと生きてるような気持ちでいる。

だから、今日やらなければいけないことを明日に伸ばす。

また早く終活を・・・と思うが、養老先生によれば、「葬式は本人の問題ではなく家族の問題」であり、
終活は家族に「自分の死んだ後のことまで指図しようとするもの」なのだという。
家族も進んでやりたくはない。残された者が好きにやればいいのだという。
これは目からうろこである。

また「人は100パーセント病院で生まれ、90パーセントが病院で亡くなる」

つまり、私たちは気がついていなかったが、実は、

「仮退院中の病人」なのだ。

笑ってしまったが冷や汗ものである。
まあ、考えれば、私たちの人生は常に仮免許中なのかもしれない。
人は往々にして、自分にも人にも完璧を求めてしまうけど、仮退院中で、人生の仮免許中なら、
ガツガツとがんばらなくて、もっと気軽に考えていいのでは・・・。

できることをほどほどにやって、与えられた生を精いっぱい満喫すればいいのかもしれない。
人生の終盤に終活に力を注ぐっていうのはなんかちがうような気もする。

でも、病院に戻る日くらい何となく自分で決めたいですね。
あなたはどう思われますか?

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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