子供がいることで「在る」ことの意味が「ずっと繋がっていく」と石原氏。曽野氏は、「生きている時間が濃密であるかどうか」に意味がある、と。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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石原慎太郎氏と曽野綾子氏の対談本があります。

「死という最後の未来」(幻冬舎文庫)というのですが。
この中で、「子供の存在が死の恐怖を払拭してくれるか」というテーマで話している個所があります。

子供がいることについて、石原さんは次のように話しています。

「『在る』ということの意味というか、血族というものが、ずっと繋がっていく、連鎖していく。・・・子供たちがいるからという安堵でしょうね。それはやはり死の恐怖を払拭してくれる」(石原)

やはり、人生の中で親から子へ血が繋がっていく(遺伝子がつながっていく)という意味は大きいのですね。


一方、クリスチャンでもある曽野綾子氏は子のように話しています。
「子供がいないということにも意味がある。血縁があるとか、ないとかではなくて生きている時間が濃密であるのかどうかだと思うんですよ」

お二人とも素晴らしい作家ですが、やはり同性のためか、私には曽野さんの意見に共鳴する部分が多くありました。
「生きている時間が濃密であるかどうか」


ともすれば、私たちはいまの時間がいつまでも続いていくような錯覚に陥りがちです。けれどだれにとっても時間は有限です。それだけに、その渡された時間をどう濃密に使うか。いつも自分に問いかけて生きていきたいですね。

この歳になればなおさらせす。人生の仕上げをするつもりで生きていきたいと思います。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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