はじめて父について語ったという「猫を棄てる」(村上春樹)。偶然の作用する人の生きることの不思議さ。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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新聞を読んでいたら本の広告欄に、村上春樹氏の「猫を棄てる」が、
「話題作がついに文庫化」として広告掲載されていた。
この本は以前、次男さんの本箱から借りて読んだ一冊。

「猫を棄てる」(村上春樹、文藝春秋)

副題が「父親について語るとき」というもの。

表紙は、海辺でダンボールに入って棄てられているような少年の絵。とても印象的です。ほかにも縁側の少年とか、可愛い猫の絵の挿絵が随所にある。(文庫でも同じ絵なのかどうかは未確認です)

作者は、この作品で初めて父親について書いたという。

最初に出てくるのは、父と私が、自転車で孕んだ猫を棄てに行くエピソード。ダンボールに入れて海辺に置いてきたつもりが、帰ってみると猫は先回りして家にいた。驚く父と子。

そのことの不思議さから、かつて、父が子どもの頃によそのお寺に預けられ、後にもどされた体験が描かれる。そんな寄る辺のなさが、人が生きるということなのではないか、と作者は言っているのだろうか。

また、父は学生の時、誤って兵隊に取られた体験がある。また、二度目の兵役ではかろうじて途中で戻された。父がもし兵役解除されずビルマやフィリピンに送られていたら、自分は生まれることなく膨大な小説も書かれることはなかっただろう、と。
そんな偶然に対する驚き・・・人生についての不思議さ。

また、最後に出てくるエピソードは、もう一匹の猫の憐れな行く末だ。この記憶から作者は、さらに偶然の作用する運命の不思議を思う。

父とはほとんど絶縁状態になっていたが、親子のつながりは変えようがない。そこからさらに、この感慨深い言葉へとつながる。

私たちは、「広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。」
けれど、「その一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある」。

この「一滴の思い」という言葉に深く心を動かされた。小さな一滴なりに懸命に希望をもって生きていきたいと、思わせてくれる。やはり、村上春樹氏の言葉の力はすごい。
ぜひ手に取って読んでみてください。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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