大河「べらぼう」、蔦重初の、ていさんとの対面に思わず「お初徳兵衞」といってしまう

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

「曽根崎心中」

いきなりのお初徳兵衛

先日の大河べらぼうの中で、
蔦重が初めておていさんに挨拶する際、

「お初徳兵衛」とか、いってましたね。
え、と驚きました。

初めて会うのに「曽根崎心中!」(__;)
とは、思ったものの、

お初徳兵衛のような相思相愛になろう!
みたいな意味なのかな・・・ならまあ、いいか
など、いろいろ思っておりました。

江戸っ子はダジャレ好き?

だいたい「ありがたやま」とか、
当時の江戸っ子は、年中機転をきかして
こんなことを喋ってたんでしょうか。

狂歌が流行ったというのもうなずけます。
江戸時代から、そして現代までも
わが日本人はダシャレ好きが多い(__;)

道行きの終わりは凄惨

ところで、
近松門左衛門の浄瑠璃『曽根崎心中』は、
大阪堂島新地の女郎初と

醤油商 平野屋の手代徳兵衛の実際にあった
心中事件をもとにしています。

若い二人の心中は当時、
江戸中でセンセーショナルな話題をさらい、
浄瑠璃作品も大注目‼ いっとき
浄瑠璃や歌舞伎の「心中物」が次々と発表されました。
その上、若い男女の心中まで流行り、

幕府仕舞いましたしまいました。

ついには心中禁止令が

心中というと、一見ロマンチックに聞えますが、
道行きの終わりは凄惨で、悲劇的です。

けれど当時、恋の成就のように憧れる
男女が多く、心中があとをたたない事態に
幕府も頭を抱えました。


そしてついには重い腰を上げ、
「心中物」の上演を禁止、さらには、
心中「禁止令」を出すに至りました。

ちょうど私も角田光代作「曽根崎心中」を
ぱらぱら読んでいたところなので
驚きました。若い二人がだんだん追い詰められ、

道行きに至る最後の部分は
つらくて読んでいられませんでした。

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今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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