人は高齢になるとそれぞれに 自分の向かうべき波止場を探して歩いているのだろうか

 こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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それまで強く、くっきりした性格だった人が、あるときから急に穏やかになることがある。輪郭がぼやけて、口調もやさしく自信がなさげに見える。そういうとき、静かに痴呆が進行していたりするのだろうか。 

昔、高齢者施設にちょっとした手伝いではいっていたときのことだ。
ふみさん(仮名)というとても小さな体をした老女がいた。他の人の話では、かつては、病気がちの夫の面倒をみるしっかり者の女性だったという。けれど夫が亡くなってから急に気弱になり、ぼんやりしていることが多くなった。

やがてふみさんは、小さな体をさらにかがめるようにして杖をつき一日中建物の中を歩き回るようになった。

あるとき、用があって廊下を歩いていると、ふみさんが向こうから歩いてくるのが見えた。
「どうしました?」
ふみさんは疲れた顔をこちらに向けた。
「ちょっと、お聞きします。これから船に乗りたいんだけど、どういったらいいのかしら」
その声は、霧の向こから聞えてくるようにか細い。

私は困って、とっさに答えた。
「それなら・・・」
片腕を上げて廊下の奥を指さした。顔には後ろめたい、人をだますような、ずるい表情を浮かべていたかもしれない。
「あちらに行ってください。みなさん、お待ちかねですよ」
あちらというのは、ケアルームのことである。看護師さんや、介護士さんがいて、ひとりではいられない人の面倒を見ている特別な部屋だ。
そこでだれかが、このひとを待ちわびているとは、思えないけれど……。

「そこから、船に乗れるかしら」
二つの丸い眼鏡レンズが期待をふくんでに、こちら向けられた。
「ええ、きっと」
疚しい思いをころして私は大きく肯いた。
ふみさんは、だいたいいつも乗船間際なのだ。そして船着き場を探し、一日中険しい顔で建物内を歩き回っているのだ。

「弟をさがしてるのよ。弟はまだとても小さいの。手をつないでいたんだけど、手をはなしたスキに迷子になってしまったの」
と言うのを、聞いたこともある。
幼稚園生ぐらいの男の子を想像して、戦争中に行方不明にでもなったのかしら、気の毒に、と思っていると、
「弟はねえ、髪がまっ白なのよ」
 というので、毎週日曜日にここを訪れる、穏やかそうな白髪の紳士だと知れるのだ。
「じゃあ、行ってみましょう。ご親切にありがとう」
そういって微笑むと、また波止場に向かってとぼとぼと歩き出した。

ふみさんは、昨日も今日も明日も、乗るべき船を探しているのだ。
永遠に目的地に着かない歩みを思えば気が遠くなるが、そんなことを気にしていてはやっていけない。

私はやがて、手伝いに行くのをやめてしまった。人生の晩年を知るには、高齢者施設に働きに行けばいい。知ることで、自分の晩年についても考えるようになる。

今、70歳を過ぎ、ときどきぼんやりしていると、なんだか、ふみさんがとても身近な人のように感じられる。これが歳を取るということなんだろうなと思う。まだまだなのか、そろそろなのか。
そして瞼の裏に、ふみさんがゆっくり「波止場」に向かう後ろ姿を思い浮かべる。
私はどこに向かいたいのかな。

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今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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