眠り草 (10)
それから何をしたのか思い出せない。思えばずいぶん遠くへ来てしまったものだ。
姉が来たのはその翌日だった。近県に住んでいる割に長い間離れていたので、もう顔も思い出せないほどだった。
「あんたがあんなお金持ちの家に行ったから、良かったと思ってたのよ」
「そう」
「せっかく奥さんもいないんだから、後妻さんに収まればよかったのに。気が利かないわ。子供さんたちも、あんたになついてたんでしょう」
「そうでもないわよ」
「どうにでもなったのに。子供たちのお母さんになるっていって。あんたは欲がないわね」
「そんなことないわよ。あたしとは別の世界の人なのよ」
「今からでも、もどってみたらどう。せめて、これまで子どもたちの面倒を見てきたんだから、少し財産を分けてもらうなり」
「もう、やめて」
まるで自分と、あの家の人々との関係が汚されるようだった。わけても、聡子の子供たちへの気持ちなんて、決してわかってもらえないだろう」
姉姉妹はかみ合わない会話をし時間だけが過ぎていった。
やがて姉は壁の時計を見ていった。
「あら、もうこんな時間だわ。今からじゃバスもないだろうね」
夕食を食べていくようにと、いわれるのを待っているのだ。それとも先ほどゲストルームの話をしたので、泊まっていくつもりでいるのだろうか。
「大丈夫。ここの職員の人が送っていってくれるから」
もう一刻もこの人の顔を見ているのはイヤだ、と聡子は思った。この人とつながっている自分の体の中の地や肉を全部捨ててしまいたいくらいだ。肉親とはなんて面倒なものだろう。
「じゃあ、帰るわね」
姉はごそごそとバッグの中を探り、「ああ、あった、あった」出てきたのは黒っぽい色をしたのど飴の袋だった。
「これ、喉がいがいがしたとき舐めなさいよ。あたしなんて一日に一袋全部舐めてしまうくらいなの。あんたに渡そうと思って、わざわざ隣の駅まで行って買ってきたのよ」
「ありがとう」
「体だけは大事にしなさいよ。そのうちまた、くるから」
もう会えないのよ、といいそうになるのを聡子はこらえた。
廊下に出ると、東側の窓の外には夜のとばりが降り始めていた。
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