「冥土の家族」富岡多恵子 娘を溺愛する父と離れていく娘、親と子の愛情の濃さと哀しみをえがいた名作。

「冥土の家族」富岡多恵子 (講談社文芸文庫)

これほど親子の情愛の濃さや哀しみを描いた小説があるだろうか。比類ない愛情で娘をいとおしむ父、抑えられない愛のせいで逆に娘に厳しくしてしまう母。この愛によって娘はほとんど窒息してしまいそうだ。

作家の富岡多恵子は大阪の生まれ。もともと詩人から出発して途中から小説を書き始めた。画家で作家の池田満寿夫と暮らしていたことでも知られる。「冥土の家族」という題名からもわかるように、親子の濃いつながりとそこにある哀しみを描いている。最初の「地蔵和讃仕方咄」は幼いときのこういう記憶からはじまる。

「緑色の蚊帳の中で、ふく子は父親にしがみついて寝ていた」
父親の両腕、両脚にしがみついていれば安心なのだ。人生でこれほど幸福な時があるだろうか。このカシコイ娘に父親は愛情を注ぎなんでも叶えてやろうとする。

小学校入学の際には、娘は新調の服を着せられ、父親のこぐ自転車の荷台に乗り学校へ向かう。商店街の人々に声をかけられると父親は得意になって晴れがましそうに応えるが、娘はその滑稽さをすでに知っている。だれも父親の自転車の荷台に乗って学校に向かう子などいないのだ。

やがて娘は成長し、家を出て絵かきの恋人と暮らすようになる。そして、久しぶりに父親に会ってみれば、父の腹にはカタマリができていた。やせ細った父はそれでも娘と絵かきの恋人の二人に精一杯うまい寿司を振る舞おうとする。金もないのに娘が渡米するといえば無理をして金をつくって娘に渡してやる。

これが父親の愛情のあたえ方なのだ。それに甘える娘。これは父と娘の切なく甘い愛の物語である。娘の感じる悲哀と悔恨。親子の愛を描いた珠玉の作品だと思う。

3話目の「冥土の家族」は、母と娘の濃いつながりゆえに、素直になれないたがいの関係を描いている。娘は風来坊のような妻のいる恋人と暮らしている。やがて病気になり、ふらふらしながら二人で母のいる大阪に帰ってくる。

病人のために温かい寝床を用意しかゆをつくって看病する母親。情けない姿の娘に怒りながらも夢中で看病せずにはおかない。

こんな家族の濃い愛憎がなければ人生どんなにすっきりとして楽なことだろう。けれど息苦しいほどに愛を注ぐ父や母がいなかったら、詩人も作家もこの世に存在しなかっただろう。過剰な愛 (または憎しみ) をかけられた者は、それを生きているこの世に返そうとする。それが芸術という果実になるのかもしれない。

読んだ後、胸を衝くような哀しみが心に残るが、冥土ならぬぎりぎりの愛を知ることもまた生きていく上で一つの力になるだろう。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
ほかにも本の紹介をしていますので読んでいただけたら嬉しいです。

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