眠り草 (5)

 迎えの車はいつしか森の中に入っていった。針葉樹なのか辺りはうっすらと暗い。木々が車の両脇を通り過ぎていくのを見ていると、聡子は心細い思いがしてきた。いよいよのっぴきならないところまできてしまったのだ。そう考えると胃の奥がきりきりと痛んだ。

 聡子がいなくなって、沢田家の親戚の者たちはどんなに清々してることだろう。そんなことを思って聡子は笑った。
「おばさん、ほんとうにいってしまうの」
 そういった時の健治の顔を思い出している。
「そうよ。あたしももうおばあさんだから、あなたたちの面倒をみられないでしょう」
「別に面倒なんて見なくたっていいわよ。ねえ、お兄ちゃん」
 そばから、甘えた声で美咲がいう。
「でも、あたしは家政婦ですからね。それに、そろそろのんびりしたいの。自分の人生ですからね。これからは、もっと楽しまなくちゃ」

「へーえ、そうなんだ」
 美咲が不思議そうな顔でいう。聡子の口から、自分が楽しみたい、なんて言葉をきくなんて。
「なら、みんなでハワイに行かない? この前、一度行ってみたいって、いってたでしょう。一緒にいこうよ、おばさん、日にちが決まったら連絡するね」
「そうね」と聡子は笑っていった。
 けれど自分はこの兄妹と二度と旅行には行かないだろうと知っていた。この家を出たら、もう他人なのだ。これまでだって、家族ではなかったのだから。

 荷造りしていると、そばにきて健治がいった。
「おばさん、そこそこにして。疲れちゃうでしょう」
「もうちょっとだから」
 この家に、自分のものは何ひとつ残しておきたくない。
「あとから、届けるよ」
「健ちゃん、仕事忙しいでしょう。結婚の準備もあるし。相手の方との相談もいろいろ」
 健治が笑っていう。
「なんだかなあ、もう別に結婚しなくてもいいかなあって、思えてきたよ」

聡子も笑う。「健ちゃんは、小さい頃から、直前になっていうわよね。やっぱり、旅行いくのやめたとか」
 横から美咲がいう。
「おばちゃんは、お兄ちゃんが結婚するからこの家を出ることにしたの。フィアンセの尚子さんが、同居します、なんて良い子ぶっていうから」
「美咲ちゃん、そんなこといってはダメよ」と聡子が笑っていう。
「それから、おばさん、父さんにいわれてベッドと、テーブルといすなんかを送ってあるよ。部屋に合うといいんだけど、まあ、大きさを測ったから大丈夫だと思うんだけど」健治がいった。

「あんなに、いらないって、いったのに」聡子は、がっかりしていう。
「まあ、親父の気持ちなんじゃないの」
「ほんとに、何もいらないのよ、あたしは」
 そんなことを思い出しているうちに、いつか森は途切れ、車は白い大きな建物の前に止まっていた。

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