グリーンベルト(1)
うつむいて食べていた女の子がいきなり高い声で叫んだ。妙に気まずい中で食事が進行していたときだった。
「パパ、みっともないわよ。ちゃんとして」
みんなハッとして、女の子のほうを見た。それから、視線を母親をおいて隣にすわっている父親の方にそっと向けた。父親は一寸肩をすぼめたけれどすぐに女の子を見てニヤニヤ笑い始めた。
弱ったなぁーとでもいうように。
父親はいつまでも笑っている。女の子の方はとっくに父親のほうには目もくれず、下を向いてすまして食べている。まるで小さなレディだ。
だれもが気の利いたことを言おうとしたけれど、そんなこと、だれも思いつきやしない。まして日本人の私たちが英語でしゃべろうなんてどだい無理な話よ。だってまともに話せるのは葉子さんくらいのものなのだから。それなのに元々まじめで融通の利かない人だから、妙にソワソワして店の様子をうかがったり、救いを求めるように窓の外に視線を向けたりしているの。
私はといえば、何か言おうにも言葉がろくに話せないのだから仕方ない。皿の上の大きな肉の塊ばかり見ていたわ。少し前までは、なんとかフォークとナイフで肉と格闘してしていたけれど、それはいくら食べても減るようには見えなかった。
私はため息をついた。なんて大きいステーキ肉なのだろう。ゆうに日本の二人前以上、ひょっとしたら大人の男性の足より大きいかもしれない。
目の前にいる夫と妻と小学校3年生くらいの家族とは、少し前、このレストランで会ったばかり。30代後半くらいの女性はサリーさんという。
かつて日本で仕事をしていて、葉子さんはヘレンを介して サリーさんと知り合ったのだ。ヘレンの家で紹介されたと言っていた。アメリカ人はみんなそうなのかもしれないけれど、ヘレンもとにかく人を招くのが好きだった。
そして、「日本人が大好き!」なのだ。
7、8年ぶりに会うというので、ワシントンD.C.でも高級な部類に入るというこのレストランをサリーさんが予約してくれた。けれどこんな気まずい雰囲気になってしまったら、どんな店だって同じだ。それに肝心のヘレンが来ないというのでは話にならない。
ヘレンと夫のボブさんは、8年ほど前まで日本にいて、住まいは私の住む団地から歩いて10分ほどの所だった。当時すでに70歳過ぎくらいの歳格好だったから、今はもう間もなく80歳に手が届くくらいだろう。
森の向こうのグリーンの屋根の小さな家だった。夫が牧師さんで、同じく森の中にある教会に赴任(といっていいのかどうか)してきた。家も同じくその森の中にあった。ちょっと平べったい感じのする小さな家だった。
私たち、葉子さんと、君江さんと私とは、月に何回かその家に通って英語を教わっていたのだ。 先生なんだけれど、ヘレンと言ってほしいといわれ、それ以来、みんなヘレンと言っていた。でも、私たちだけ葉子さんとか、君江さんとか・・・・・・。おかしいでしょう。
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