「眠り草」(2)

 聡子は沢田家の遠縁の女で、長年沢田の家に住み込みで働いている。小さい頃に母を亡くした健二と美咲兄妹の育ての親でもある。香料を扱う会社を経営していた父親の祥一は、再婚するよりも仕事に専念するほうを選んだ。そして、子煩悩でもなかったから、いきおい子供たちの面倒は聡子が見ることになった。母親代わりになって幼い頃から兄妹を育てたのだ。

 沢田家を初めて訪れたひとは、だれもが聡子をこの家の主婦だと思う。あるかないかの微笑を浮かべて家の中に目配りし、時に二人の子供を抱き寄せた。しつけにも厳しく、いたずらをしたり他の使用人にいばったりすると顔を真っ赤にして叱った。人々はそんな聡子をどう扱っていいかわからないのだ。
「家政婦です」
そういうと、決まって驚いた顔をされる。
「奥様かと思いました」
 聡子は悪びれない。

 いずれ洋一の妻に収まるつもりなのだろう、と邪推されることもあるが、聡子にはそういう連中を笑っている。自分はあくまでもこの家の家政婦なのだ。洋一も遠縁の女への礼儀をもって、ていねいに聡子をあつかう。そこを踏み外すことはなかった。
 朝、出がけに子どもたちのことを頼んでいくこともある。ふと空を見上げてつぶやく。
「天気がいいですね」
「ええ」
「今日は子供ちを外で遊ばせてやってください」
「わかりました。麦わら帽子を被らせて公園に行ってきます」
「ありがとう。お願いします」
 
 またある日は、こうだった。
「今夜は、八時には寝かせてください」
「はい、気をつけます」
「それから・・・・・・」
「はい・・・・・・」
「いや、なんでもない。とにかく僕を待ってなくていいから。そういって先に寝かせてくださいね」
 そういう日の夜はだいたい洋一の帰りは深夜になるか朝帰りになるかだった。どこかに別宅があるのだと、いつか洋一の会社の年配の社員がつぶやいていた。
 それも聡子にとってどうでもいいことだった。二人の子供の前で、機嫌よくやさしい父親でさえあれば充分なのだ。

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