歌舞伎や宝塚歌劇の原型?~阿国かぶき
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

時々ですが、なぜ自分はお芝居、演劇、そして舞台が好きなのだろう、と考えることがあります。それで、まあ、こんなことかなと思うのは、わたしはきっと生きた人間が舞台のうえで動くのを見るのが好きなのです。
いっとき、演劇をもっと自由にとか、客席と舞台境をとり払えとか、一時流行っていました。
けれど、舞台というのは特別な空間で、舞台があってこその演劇なのでしょう。
もともと古代ギリシアでも、野外劇場があって、頻繁に神への捧げ物として劇が上演されていました。やはり捧げ物なのですね。
日本での演劇発祥の地は?
1603年(慶長8)、ちょうど徳川幕府が成立したころのことです。出雲出身の阿国という女のひとが京に上って、男装をして、茶屋遊びをするというような芝居をやる大はやりになりました。男装、というのがポイントだと、丸谷才一氏は「日本史を読む」の中で話しています。
この、女が男を演じるというのがまるで今の宝塚のようです。それで茶屋女は男性が演じるのですから、ちょっと倒錯した雰囲気になるというか、これが当時京で大人気になったそうです
派手でにぎにぎしく、今の歌舞伎の原型です。もともと能や狂言がわが国にはありますが、このかぶき者による催し物はそれらとは一線を画しています。
まさしく宝塚歌劇と今の歌舞伎がごっちゃになったような感じです。
というかその原型が阿国かぶきの中にすでに芽ばえていました。
客席からいきなり、d名古屋山三の亡霊が・・・
阿国一座の出し物に、名古屋山三という美男で有名だった人の出てくる芝居があります。この人は、阿国とも艶聞があったとか、なかったとか・・・。
この男は、少し前に亡くなりました。
そこで、狂言師で天才プロデューサーの三十郎が、芝居の中に名古屋山三の幽霊を出そう、というアイデアを思いつきました。
生前阿国に惚れていたが、思いを遂げられずに亡くなった。そして、幽霊って恨みを晴らしにきたと。
出雲からやってきた阿国が花盛りの、京の都で念仏踊りを舞っていると、そこに幽霊が現れます。
観客の皆さんはさぞ驚かされたことでしょう。
衣装も派手派手しく、きらびやかで、まさしくかぶきの世界なのでした。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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