「ぼくが電話をかけている場所」レイモンド・ガーヴァー 村上春樹訳

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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「ぼくが電話をかけている場所」レイモンド・ガーヴァー 村上春樹訳

「村上春樹さんの訳だから、良いにちがいない」
そう思って読む人も多いのじゃないでしょうか。

わたしもその一人です。笑

この短編集の中で特に心に残ったのは、
表題の「ぼくが電話をかけている場所」と
「大聖堂」の2作品です。

大聖堂

「大聖堂」では妻の盲目の友人が、5時間鉄道に乗って「私」たちの家を訪ねてくる。目の見えない相手に家の中やテレビ内容をどう伝えたら良いのかと困惑し疲弊してしまう私。

やがて、テレビのルポの中で、ポルトガルのリスボンにある大聖堂を映した。

「これをどう説明すればよいのか」困っていると、
「固い紙をもってきて」と盲目の友人。

私は紙の上に手を置く。その上に友人が手をのせる。
「さあ、描いて」と盲人。

紙の上をなぞるふたりの手。
そうして徐々に紙の上に大聖堂が、世界が広がっていく。


このなぞっていくところが凄い。
新たな感覚による世界の把握・・・!


わたしたちが普段、どんなに小さくて、
一面的な世界の住人なのかをを感じさせる作品です。

「ぼくが電話をかけている場所」

「ぼくが電話をかけている場所」では、「僕」は
アルコール中毒になって病院に収容されている。

そこで知り合った元煙突清掃員の男性。
妻も煙突清掃員で、その作業する姿に心を動かされてふたりの恋愛が始まったのだ。
そんな素敵ななれそめなのに、友人は今やアル中になり、妻を絶望させている。

「僕」もまた、療養中いつ発作が来るかと怖れている。

そんな絶望的孤独の中で「僕」はかろうじて公衆電話に向かい、破局した妻に電話をかける。

それは何かに、世界のどこかに繋がっていこうとする行為で、
微かな希望なのだ。

2作品とも、村上春樹氏の文体を感じさせ、ふと彼自身の作品を読んでいるような錯覚に陥らせる。

春樹氏はレイモンド・ガーヴァーの作品を初めて読んだとき、その文体に感動し翻訳を決意したという。
そういう意味でも読んで損のない珠玉の短篇集です。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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