「フローティガン東京日記」を読んでいると心が限りなく自由になります。ほんとうに不思議な詩人です
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

フローティガンの詩を読んでいると心が限りなく自由になる感じです。
「フローティガン東京日記」から
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長良川河畔の黒展と劇団の
公演のあとで
化粧を落とし、衣装を脱ぎ、
その役を取り去った女優たちは
死をまぬがれない人間にもどっている
彼女たちが小さな宿屋でしずかに食事するのをぼくは見る
彼女たちに迷いの影はない よけいなものが
ほとんどない聖者のようだ
つぎの舞台へと
すきがまったくない
岐阜
1976年6月7日
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舞台の上では俳優は特別な存在で、舞台を下りてもどこか役を引きずってる気がする。そこが魅力だから、俳優は人気なのだ。
黒テント劇団といえば、わたしの若いころは、天井桟敷などとともに、アングラ演劇を代表する劇団のひとつだった。まるで人間世界を超越したような不思議な舞台構成が多かったような。
そりゃ、そうですね。もともとギリシア悲劇は神に捧げられたもので、舞台はそのための装置だったから。黒テント劇団の動画を見ていたら、日常さえも舞台という空間の中では神聖で特別なものに変わるのだと実感させられる。
大切なのは、できるだけリアルな日常を描くでなく、日常をどう現実から乖離させ、純粋な捧げ物に近づけるか。
フローティガンの詩もそんな不思議な酩酊感があり、きっとこの詩人も演劇好きなのだろうな、と思う。
また演劇の楽しさはボーッと見ていても、緊張して見ていてもどちらでもよくて、そのなかで自然に不思議な次元の空間に連れて行ってくれることかもしれない。さらに目の前で生身の身体をもった人間が動く楽しさもある。なんか、うまくいえないけれど…。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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