ツグミ団地の人々 〈小鳥が逃げた 10 〉

 このあたりは谷戸の地形になっている。小道を歩いていくと山奥の谷のようなところに出る。欅か何かの大きな木の横に枝が張りだしていて、その幹に近いところに小鳥がとまっているのを見つけた。

 小鳥も彼らを見つけて、ピッと鳴いた。
「ピピッ」奈々が呼んだ。
 小鳥は小首をかしげて見下ろしている。
「おいで」
 奈々が優しい声でいった。
「聞こえないよ。もっと大きい声で呼ぶんだ」父親がいった。
 小鳥はあいかわらず不思議そうに小首を傾げて彼らを見ていた。娘が叫んだ。

「ピッピ、おいで」
「もどっておいで」
 彼らは叫び続けた。

 するとその時、小鳥が真っすぐに飛んできて茂夫の肩の上にとまった。
「うわぁ、やったぞ」
 指にとまらせてカゴに移そうとすると、小鳥はバタバタと飛び立っていく。そしてしばらくするとまた茂夫の肩にとまった。

「この子、かたが好きなんだよ。もう。このままいこう」
 奈々は言った。
「そうね。そろそろと歩いて行きましょう」
母親がちょっと気色ばんだようすで言った。
 そして、彼らはゆっくりゆっくり団地の建物群のほうへ歩いていった。

 エントランスの少し手前まで来た時だった。頭上でカラスがカーカーと鳴いたかと思うと、頭の上の方に黒い影がさして、スーッと急降下してきた。小鳥を見つけたのだ。
 小鳥はカラスの爪に捕らえられ、あっという間に上空に飛んでいった。そして一度くるくるとまわると、今度はさらに高く飛んでいった。

 カラスは小鳥を足に挟んだまま遠ざかっていった。
「クソ。カラスのやつめ」
 父親がいった。
「もうあきらめるしかないわね」
 母親がいった。
「おいかけようよ」娘がいった。
「もう無理だよ。あきらめな」
 奈々は激しく泣き始めた。 三人は空の鳥かごを持って家までとぼとぼ歩いていった。彼らの住む棟のアーチ型のトランスが見えてきた。奥は暗くまるで洞窟の入り口のように見えた。
「こういう日の夜は、嫌な夢を見そうだな」
 父親は言った。奈々はまだ泣き続けている。

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