玉木屋の娘〈19〉
このところ義母のゆらの機嫌がいい。
「豆腐を買ってきて。それから八百吉へいって、菜っ葉もね。今日は肌寒いから、温かいものを炊いて食べさせてあげようね」
ちらりと工房の方に視線を流しながら言う。寒いといいながらも、襟足を大きく抜いて、白い首筋を心持ち曲げた仕草が妙になまめかしい。
工房からはほとんど音がしない。老人と少年の二人は版木に顔を被せるようにして彫ってるに違いない。いや少年はまだほとんど見ているだけだ。親方のやる動作を何一つ見逃すまいとして。
「わかったわ、おっかさん。ほかにもある」
「それだけでいいから、後は、寄り道せずにさっさと却っておいでよ」
「まるで子どもに言うようなせりふね」
多江は言い返す。ははあん、また、あの男と会うんじゃないかって心配してるのね。
「あたしの子どもなんだからいいじゃないか」
「そうですよ、あんたはあたいのおっかさん、それには間違いないわ」
「ぐすぐず言ってないで、さっさといっておいでよ。日が暮れちまうよ。今夜は旨い鍋を作るからね」
「はい」
今度ばかりは素直に言って多江は暖簾をくぐって外に出た。
だいたいおゆらは料理の達者な女で、遊女の頃にもたまたま、目先の変わったお菜が出たりすると、まかないの者に聞いてみずにはいられなかった。そして、筆を手にとると素材や作り方を半紙に書きとめていた。
出来上がった料理はもちろん、素材の魚や、野菜、サトイモのねじ曲がったような愛くるしい姿、青々とした菜っ葉などまで、気が向くといたずら描きのようにちょこちょこ描いていた。 いずれ年季が明けたら、一膳飯屋でもと思っていたのだが、今では日々の賄いに役立っているのである。
清吉から身請けの話が出たときにも、料理関係の人だったらと思ったが、それは叶わぬ望み、けれど祝言を挙げたあとで、由良が恥ずかしがって隠すようにした書き付けを見つけると、清吉の目がきらりと輝いた。 商売人としての血が騒ぐのか、
「おめえ、その書き付けをみんな取り出して見せてみな。ひょっとしたら当たるかもしれねえ」
などと言って、腕組みし、じっと考え込んでいる様子。
「まあ、男ってのは、なんて間の抜けたことを考えるんだろう」
とは思ったものの、
「こんなもの。恥ずかしいよ」
身についたサガで身をよじるようにして言ったものの、清吉はいたってまじめだった。
正面きって反対もできず、なんとなく押し切られる形で、半刷りをして、十数枚を綴じて冊子にした「風流料理本」を出版し、表紙には遊女姿のおゆらが、細筆を手に首をかしげ、半紙にさらさらと野菜などを書き付けている姿が、仔細らしく可愛いと評判になり、たちまち五百部を売り切った。
清吉は、さらに五百部を増刷、最後に百部ばかり残ったが、それは店の隅の内に積んでやってきた者に売りつけ、そこそこの利益となった。
けれど、その後も清吉は、そんな濡れ手に粟のような商売を探すようになり、おゆらはあれが良かったのかどうなかと今でも気に病んでいる。
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