道長の最期がどう描かれるのか気になります。「光源氏」の最期とかぶりますが、やはり悲惨だったのか。円地文子と田辺聖子、それぞれの訳によるこの部分がすごい。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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道長の最期がどう描かれるのか気になります。「光源氏」の最期とかぶりますが、やはり悲惨だったのか。円地文子と田辺聖子、それぞれの訳によるこの部分がすごい。

「光る君へ」では、いよいよ最後の部分に差しかかっています。

すでに道長は出家し、身体も弱っています。この、傑出した人物は最期をどのように迎えるのでしょうか。

道長はさいごのときに、まひろ(紫式部)にそばにいてほしい。
けれど、それ無理なので、まひろはあえて旅に出たのでしょう。

画像は、「光る君へ」公式Xからお借りしました

道長の最期が、「光源氏」の最期と重なって見えてきます。

源氏の最晩年が悲惨だったのは最愛の女性、紫の上に先立たれてしまったからでしょう。

源氏の女性遍歴に苦しめられた紫の上ですが、一番のショックは、源氏が子どものような女三の宮を正妻に迎えたこと。それがとどめのように、紫の上の身体を弱らせ、ついに42歳で亡くなってしまいます。

その人の死はあまりにショックだった

それからは、源氏は気力を失い、もう自身、死に向き合う人生しか残っていなかったようです。まだ52歳ほどですが。死に取り憑かれたような和歌ばかりを詠み、出家することだけを望んでいます。

そして、悲しみの中、尼になった正妻の女三宮のもとを訪れて、
「山吹の花がきれいだね、でも植えた人が亡くなったのも知らずに咲いているのはあわれだね」
と訴えかけますが、
「そうでしょうか、わたくしは日々のおつとめに忙しく、花が咲こうが散ろうが、あまり気になりませんが」
と、軽くいなされます。

また、賢い明石の君のところでは、しみじみと語り合ったものの、そうなるとよけいに紫の上が恋しくなります。

紫の上は、妻であり、少女のころから慈しんで育てた女の子であり、亡き母にそっくりの女性。つまり永遠の女性でした

「光る君へ」でも、まひろ(紫式部)は道長の永遠の女性でありたかった。だから旅に出たのでしょう。
道長が大切すぎて、もうそばにいることはできない。最期を見たくない。そんな気持ちもあった気がします。

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倫子は最後まで道長のそばにいられる。
けれど、魂の結びついているのは自分だ、とまひろは思っていたことでしょう。倫子もそんなまひろが旅立ってくれてホッとしたことでしょう。

現実には、道長と紫式部のどちらが先に亡くなったのかはわかりません。けれど、光源氏の最期を記したとき、あるいは、道長の最期も頭の中をよぎったかもしれません。

源氏は、出家前に女人からもらった手紙をすべて処分します。そして紫の上の筆の跡にふと涙ぐみながら、執着が残らないようにすべて焼かせてしまいます。


ここ、凄いところですね。自分と紫の上との痕跡を消し去るということ。執着をすべて捨てるということ。それが死に向かうということ・・・?

道長やまひろ(紫式部)は、それぞれへの執着を、どのように捨てるのでしょうか。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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