「蹴鞠で決めよう、トキューサ」と挑発する後鳥羽上皇。驚きながらも嬉しそうに応じる時房。本当にこれで決着がついていればよかったのに。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

見事に鞠をキャッチする藤原兼子

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

「おまえは俗物だ。だからお前の作ったものは人の心を打つ」
運慶のこの言葉が気になってなりません。

そんな俗物の中に、ひと筋の光がある。それを見つけるのが制作者ということなのでしょうか。
制作する人が前に進むために、自分を鼓舞する言葉なのかもしれないですね。

今回、実衣の野望がついえて、罪人として裁かれることに。政子に言った言葉、
「姉上が頼朝となんて一緒にならなければよかったのに。そうすれば子をみんな失うこともなかった」
切ないですね。悲しそうに妹を見つめる政子。

そして政子はみんなの前で、妹の命を助けてほしいと懇願する。
「打ち首なんて本気なの」
義時「もちろん本気だ」
大江広元「身内だからこそ厳しくするべきではないでしょうか」

義時がいうと悪人。大江広元が言うと賢人。大江広元のこの理性が、鎌倉を維持させているのだ。
真の鎌倉の支配者は大江殿だった。

そして、いつも、もどかしく思っていた政子は、ついに心を決める。鎌倉のために自分が強くならなければ・・・。

ついに、自分が将軍になると宣言する政子。
政子「私は、私のまつりごとをしたいのよ」
大江広元「では、施餓鬼をされてはいかがですか」
やさしくアドバイスする大江殿。(さっきとは人が違ったよう・・・。何しろ政子命ですから)

人民に施す、情け深い尼将軍政子の誕生だ。

夫も子どもを、すべて失った上で手に入れた強さ。それが悲しい。
今や政子にとって、鎌倉が自分の子となったのだ。
政子は歴史でよく言われる悪女ではなく、聖女だったのです。

そして、「父に反発しているのに、どこかで父を慕っている」と言われる泰時。

そんな心の両面から、人の気持ちに配慮した御成敗式目ができたのでしょう。

結局人はみな俗物なのか

結局のところ、人はみな俗物、それが状況次第で善人にも、悪人にもなる、と三谷氏は言いたいのでは・・・。

悪をすべて引き受けた義時のあとに、平和な鎌倉が実現するのは恩寵なのか皮肉なのか、いや、これこそ人の世の営みというべきでしょう。それを見事に描いたドラマなのだと思います。

どころで、運慶の彫る義時に似せた仏像はどんなお顔をしているのでしょう。見るも無惨な恐ろしい顔か。それとも慈悲深い仏の顔なのか。
私は後者だと思う。
それともひょっとして、八重さんのお顔? これはとても楽しみですね。

mata,

4日の放送で楽しかったのは、なんと言っても後鳥羽上皇と、時房のサッカー対決ならぬ蹴鞠対決です。

「蹴鞠で決着をつけよう、トキューサ」と、挑発する後鳥羽上皇。

驚きながらも嬉しそうに応じる時房。

サッカー選手のリフティングもかくや、という感じですね。
本当に、戦にならず、これで決着がつけられたらよかったのに💧、

この後、ぜひサッカー競技場に、鞠をける後鳥羽上皇と時房の像を建ててほしいです。

京都御所内の蹴鞠の場

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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