さまざまな面に才能発揮した後鳥羽上皇。時房と蹴鞠に興じた姿が懐かしい。そしてなぜ義時は上皇に憎まれたのか?
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
こちらの写真は京都御所内の「蹴鞠の庭」です。
後鳥羽上皇、そしてひょっとしたら、北条時房もこのお庭で鞠を蹴ったかもしれないですね。
さて、
「鎌倉殿の13人」鶴岡八幡宮で実朝が暗殺されたことで、京と鎌倉の関係が修復できないまでに悪化しつつあるようです。
少し前、後鳥羽上皇と北条時房が見事な蹴鞠のシーンを見せて、蹴鞠が取り持つ縁で、うまくいくかと期待しました。それだけに、この希望が徐々に打ち砕かれていくのが残念です。
将軍実朝は、上皇にとって理解し合える人物でした。蹴鞠のうまい時房も、まあまあ話せる相手だったでしょう。義時はどうにも虫が好かない・・・というか、なんとも目障りな奴、と思っていたかもしれません。
東洋経済が太宰治の小説「右大臣実朝」を引き合いに出していました。
小説によれば義時は、
「それこそ竹を割つたやうなさつぱりした御気性」ですが、「奇妙に人に憎まれるお方でございました」という。
さらには、
「どこやら、とても下品な、いやな匂ひがそのお人柄の底にふいと感ぜられて」
と、さんざんな書かれようなのです。
人の性格は「暗い」とか「明るい」とかそう簡単に決められるものではありません。人の心はそんなに単純ではなく、スライムのようにぐにゃぐにゃで底知れなく、時には青空のようにからっと澄んでいたりもします。
今回、実朝が暗殺されるという凄絶な場面がありました。そのあとの公暁の言。
「知らしめたかったのかも知れません。源頼朝につながる私の名を・・・」
追い詰められ、コンプレックスに苛まれたような公曉の言葉が切ないですね。
また今回恐ろしかったのは、ひょんなことからわが子を将軍にという野望を抱いてしまった実衣です。その顔が母親のエゴをむき出しにしていて、実衣役の宮澤エマさんの役者魂にまたもや感嘆させられました。
「暗い」と言われる人は思慮深い人なのかも知れないし、「明るい」人も本当に天真らんまんな明るさなのでしょうか。
義時の場合、やはり姉の政子や、息子の泰時を正義の方に置くために、あえて暗い陰の部分を引き受けたような気がします。
また後鳥羽上皇も、それがわかっている。義時が与しやすい相手でないと知っていたから、義時を恐れ、憎まれたのではないでしょうか。
それが、後の承久の変につながっていくような気がします。
時房と共に、あれほど生き生きと蹴鞠勝負に興じられた後鳥羽上皇のお姿が本当に懐かしいですね。素晴らしい才能をお持ちだっただけに、その後のことが惜しまれてなりません。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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