グリーンベルト (21)
キヨミさんはヘレンの胸にもたれたままだ。君江さんがわたしに目配せしている。きっと、ほかに人がいなければ肩をすくめてみせただろう。わたしはといえば、その時も背後に、日本に残してきた家族が冷蔵庫を空けるカタカタという寂しい音を聞いたのだった。
気がつけばヘレンの姿はなく、キヨミさんはやもめの大男のそばに座って話している。話の内容はよくわからない。キヨミさんはとても早口だ。まるで娘が父親に訴えかけるように。そして、男の声には相手を宥めるような調子があった。
わたしたちが、そちらを見ていいものかどうかと悩んでいた。
その時、焼き立ての香ばしいアマンド入りパンを、ヘレンが大皿に盛って部屋に戻ってきた。それをテーブルに乗せ、みんなに食べるようにいった。やまも男が皿に乗せて勧めるとキヨミさんは慌てて首をふった。「ありがとう、いらないわ。あまり食欲がないのよ」 ヘレンが目を丸くしていった。
「食欲がないですって。あなたは、そんなに痩せてるのに。もっともっと食べないといけないわ」
灰色の目に心配そうな表情を浮かべてヘレンがいった。
「毎日、何を食べてるの」
「夫が亡くなってから、冷蔵庫はほとんど空っぽ。わたしが料理してたのって、彼に食べさせるためだったのよ。食べてもらうためなら作るけど、自分一人ならドッグフードでもいいく」
「そんなことをいってはいけない」やもめ男はいった。
眉間に真剣そうな深刻深いシワを寄らせている。
「いいのよ、もう心配してくれる人はいないから」
「わたしが心配する。もっと自分を大事にするんだ」
「なんのために?」
キヨミさんが小さく叫んだ。やもめ男は小さく首を振り父親のようなやさしい表情でキヨミさんを見つめている。
「昨日は彼と、レストランで食事をしたのよ
「まあ、素敵」葉子さんがいった。
「彼と、結婚すればいいのに」
「彼では、年を取り過ぎてるわ」
キヨミさんが日本語でいった。彼が年を取り過ぎてるかどうか私にはわからない。アメリカ人が日本人の年齢がわからないように、その逆もしかりなのだ。
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