前向きもへったくれもあるかいな/佐藤愛子先生の「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」を読む

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

先日、ブックスタンド若葉台オープンの日に行って、下の2冊を購入した話は前に書いた。

「めぐらし屋」(堀江敏幸、毎日新聞)

「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」(佐藤愛子、小学館)

敬老の日の今日、「九十八歳。戦いやまず日は暮れず」を読んだ。
読んでいて肯くところが多い、というか、肯くところだらけだ。

特に、高齢になってから、どう前向きにいきたらいいか、と出版社から聞かれるところ。佐藤先生はそんな質問に、疑問をもつ。

別に老人が前向きにいきなければいけないってことはないんじゃないか。

前向きもヘッタクレも

そして出てきた台詞が、

「もう前向きもヘッタクレもあるかいな」
「目も悪い。耳も悪い。心臓も悪い。血圧は高い。膝はヘナヘナだ。」
「そんな冬枯れの身」に、なぜ「前向きに生きるコツ」なんかを語らせるのかと、佐藤先生はお怒りである。

たしかに、前向きに元気に生きることを、なぜ高齢者の理想とされるのだろう。
思うに今の元気な老人は、すでに元気すぎるくらい元気で、会社で働いたり、地域で活動したり、さらにデモにまで行ったりしている。
 自分自身で、いついつから老人らしく生きよう、と決めかねる時代だ。だから、まだまだいける、とつい錯覚してしまう。

わたしはよく、「脚がいたい」とぼやいている。「病院にいって治療すれば治る」そう思っていたが、よく考えればこれが老化なのだろう。あっちこっちが痛いのは仕方ない。

まだまだ元気、と思うのは錯覚。身の丈というか、体や頭の程度に合った暮しを、細々と長く続けていけばいいだけなのだ。それがわたしにとっての前向きな生き方なのだろう。そんな中にも好きな本を読んだり、SNSで皆さんの考えを知ったり、楽しいことはいろいろある。

死ぬ時節には、死ぬがよく候

佐藤愛子先生が理想とする老後は、「小春日和の縁側で猫の蚤を取りながら、コックリコックリ居眠りし・・・・・・死ぬ時がくるのを待つともなしに待っている」そんな生活である。

そしてさらに、良寛禅師の言葉をあげている。

「災難に逢(あふ)時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候」

死ぬ時節に・・・もだが、一見無謀なことや困難と思えることから、その人にとっての新しい何かが始まるのも何度か目にしてきた。

本当に意味の深い言葉だと思う。忘れないようにここに書き留めておいた。

良い敬老の日を迎えられました。皆さん、いつもありがとうございます。
ほかにも日々の思いを書いていますので、よろしければ目を通していただけましたら幸いです。

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