「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」田村隆一/身に染みてこそ教養は身につく/生も死もその人の中で変容を重ねながら成長していく

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています

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「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」田村隆一(語り) 長薗安治(文)

詩人の田村隆一が晩年鎌倉の自宅で若い人々に向けて語り、作家の長薗安治がその聞きて手となり一冊の本になった。

ここが、心に残った

「自分が実際に経験した辛いこと、痛いこと、面白いことを素直に次の世代に伝えるのが教養なんだ」

 これは思いもよらないことだったので、ちょっとびっくりした。そうか、そうだったのか。それでよかったのか。いや、それが一番難しいのかもしれない。

「戦後の日本の教育は解説」だらけ、「解説文化」だと田村隆一。

そして、

「解説じゃ、教養は身につかないんだ。自分で身に染みるってことがないから、自分のものにならない」

「骨身に染みてこそ教養は身につくのだ」

「詩の作り方を読んだって、詩が作れるようにならない」のと同じだ。


死もまた私たちの体に芽ばえる

ある禅宗の偉いお坊さまの言葉に、「死は背後から襲いかかってくる」という言葉があるそうだ。

この世に生をうけるのと同じように、死もまた私たちの体内に「芽ばえる」。そして

「ぼくらの生は、いろんな変容を重ねながら成長する。死も成長していく」という。

「そして、小さな生には、小さな死、大きな生には、大きな死が訪れる」

一昨日、政治家の方がテロリストに撃たれるという大変ショッキングな事件があった。
それだけに、この言葉が胸に突き刺さった。

これからもなぜ・・・、と思い続けるだろう。

そして、この政治家に浴びせられていた数々の罵詈雑言。

そんな言葉に傷ついていたのは一人その政治家だけではなく、私たち一般の人間をも深く傷つけていた。だからみんな余計に苦しみ、悲しい思いがするのだ。

どうぞ私たちに、本当の気持ちを語れる言葉をください。
それほどに今の私たちは傷つき、言葉を失ってしまった。

それとも、もともと私たちは、真実を語れる何の言葉ももってなかったのだろうか。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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