「ぼくの小鳥ちゃん」(江國香織)小さくて、気位が高く、ちょっぴり意地悪な小鳥ちゃんと僕との生活

「ぼくの小鳥ちゃん」(江國香織、新潮文庫)

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

「ぼくの小鳥ちゃん」(江國香織)を読んだ。ずっと以前読んでいたのだが、本棚を片付けていたら出てきたので再度手に取って読んでみた。

だいたい動物の出てくる小説は好きなのだが、改めて読んでみると本当におもしろい。なんだろう、この小鳥ちゃんのかわいらしさ。

わが家でも昔、青いインコを飼っていた。だから小鳥の小首をかしげたときのかわいらしさや物思わし気な様子、和毛に顔を埋めて休むときの心もとなさなど、その愛らしい姿が浮かんでくる。

けれど窓から部屋に飛び込んできた小鳥がいきなり、
「いやんなっちゃう。中途半端な窓のあけ方」
なんて言ったら、びっくりしてしまう。

おまけに「僕」とこういう会話を始めるのだ。
「はぐれたって、誰と?」
「家族や、ともだちや、みんなと。わかるでしょ」
なんて小生意気で可愛い小鳥ちゃん。こんな風にして、僕とことりちゃんの生活は始まる。

日曜日には、僕の、なんでもできる有能なガールフレンドがやってきて、掃除をしたり、料理をしたり。そんなときには少しだけ機嫌が悪くなって、僕とガールフレンドの写真をばたんと倒したり。

嫉妬? いや、小さくて、気位が高く、ちょっぴり意地悪な小鳥ちゃんは並みの女の子などは叶わないくらい魅力的なのだ。

小鳥ちゃんを、ガールフレンドはどう思っているのだろう。
それが見えないところもこの小説の不思議なところだ。有能なガールフレンドはいつもマイペース・・・社会を表している?

小鳥ちゃんは危うい存在?

そして小さくて、魅力たっぷりな小鳥ちゃんは、危うい存在だ。

小鳥ちゃんが何より好きなのは、洗濯機の中で洗濯物がガーガーと渦を巻いて回るのを見ていること。これも、かなり危うい。
いや、実は「僕」の心の中の危うさが、イコール小鳥ちゃんなのかもしれない。

以前、すずめを飼っていた僕に、ペットショップの店主はいう。

「ほう、また小鳥がきましたか」と。
「男のかたの中には、どうしても小鳥にかかずらわってしまうかたがあるんですよ、まれにね」
これはどういう意味なのだろう。完璧なガールフレンドは社会を表し、小鳥はナイーブで、小さくて、弱い存在。つまり「僕」の心とイコールなのかもしれない。

ガールフレンドのバスケットの中で眠る小鳥ちゃん

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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