末摘花はルッキズム、紫の上はロリコンと・・・こんな視点に目を奪われる「ミライの源氏物語」(山崎ナオコーラ)

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私たちは「源氏物語」を古典の雅な話と思っている。しかし、この「ミライの源氏物語」を読むとひとつひとつの恋愛が、現代の視点ではこんな解釈にもなるのかなあ、と驚かされる。 

桐壺更衣と藤壺女御についてはマザコン、末摘花はルッキズム、そして紫の上はロリコンの視点から読むこともできる・・・という。

六条御息所と葵の上のマウンティング

ほかにも六条御息所と葵の上のマウントの取り合い。女三宮と柏木のカースは性暴力だったかもしれない。1000年前の貴族社会のおどろおどろしい(恐ろしい)恋愛もようを現代の言葉に読み解く意外性とおもしろさ。

考えて見れば、幼くして母に死に別れた光源氏は、一生亡き母の面影を求めて次々に女性と恋愛したのかもしれない。

そして、母にそっくりな藤壺に対しては、感情を抑えきれず、全巻を通して陰の部分となる罪を犯してしまう。そして後に女三宮と柏木の罪へとつながっていき、罪の子、薫の誕生となる。

源氏物語絵巻でも、薫を抱いている光源氏の沈痛な表情が忘れられない。

女三宮のケースは性暴力

この女三宮と柏木の不倫では、これまで私たちは2人に罪があり女三宮の源氏への裏切りのように思っていた。けれど実は、この出来事は「性暴力」なのだという。

確かに女三宮は、何も悪くなく、ただひたすら苦しみ悲しんでいる。それに気づかされる新鮮な驚き。襲われた側が罪に問われるのは変だと山崎ナオコーラ氏は指摘している。確かにその通りだ。

私たちは知らず知らずのうちに物語を、光源氏という超カッコいい男性の視点から見ていたのだ。

平安期の貴族の女性は外出もままならず、重い衣服に包まれて御簾の内側にこもっている。その女性たちはひたすら受け身だ。恋愛も結婚も、〝性暴力〟に近いところから始まったかもしれない。

そう考えると一面、むごい物語なのかもしれないが、まあ、千年前の人々に今の良識を振りかざしても仕方ないといえば仕方ないのだが。

千年昔の物語も現代の光点に照らすと、また別の解釈ができてくる。そんな視点からもおもしろい一冊だった。

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最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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