雨降りの日に/もう人の通らないアーケード街を歩いた/谷川俊太郎の「世間知ラズ」から「トタン屋根に降る雨」

朝のうちは何もかもが水浸しになるようなひどい雨だったのに、午後からは晴れて、薄日さえ差してきた。こんな日の夕方はなんとなく味わい深い。たまたま人の通らない商店街の中央を、どんどん歩いていって用をすませる。

何年か前、北九州の大きな街に行ったときのことだ。
昔炭鉱で栄えた街の一画には、もう人の通らないアーケード街があった。

商店街に通じる門は堂々として、商店はみんなシャッターを閉ざしているが、
アーケード街であるにはまちがいなく、ひっそりと足音をおさえて歩いたのに、
それでもカツカツと高く響く靴音に恐れをいだいた。

アーケードを抜け、表通りに出て大きな本屋に入った。そこの書棚には、燦然と輝くイルミネーションのような工業地帯の夜の風景写真と、
何十年か前、炭鉱の中で働く女たちが、カンテラを腰にさげ狭い穴の中を奥へ奥へと掘り進める絵の描かれた本もあって、震撼させられた。
私たちはいつも、光と闇の両方を片側ずつにかかえている。
アーケードを抜けていけば、もといた世界に戻れるのだろうか。
それとも永遠に迷子になったままなのか。

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雨降りだった日の夕方に読みたい谷川俊太郎の詩集「世間知ラズ」から。

  トタン屋根に降る雨

子どもだった頃から同じ音だ
落葉松の枝に散らされた雨のしずくが
不規則に屋根を打つ音はむしろ乾いていて
音楽とは似ても似つかないのが快い

凍りついた霜のような模様のガラス窓と
こてあとが残してある白い壁と
ゆがんで立て付けの悪い扉がこの家の特徴だ
毎年夥しい虫が家の中で死んでいる

もう子どもの泣き声や笑い声は聞こえない
人は年をとってだんだん静かになる
表面はどんなに賑やかでも

身近な死者が増えてきた
彼らにしてやれたことよりも
してやれなかったことのほうがずっと多い

   谷川俊太郎「世間知ラズ」(考潮社)より


最後まで読んでくださりありがとうございます。
ほかにも日々の思いを書いていますので、読んで頂けたら幸いです。


 

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