「創作の極意と掟」筒井康隆 小説を書くことを愛し、その世界にのめり込む

筒井康隆「創作の極意と掟」(講談社)

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

筒井康隆「創作の極意と掟」(講談社)を読んでみました。
もっと若い頃ですが、小説を書いていて、とても悩んだことがありました。
小説を書くって難しい(^_^;)
悩めば悩むほど、ドツボにはまり込んでしまいます。

小説の「迫力」について

この「創作の極意と掟」を手に取ってみて、若い頃に読んでいればなあ・・・と思いました。
特に感じ入ったのは、「迫力」の章です。

小説には「迫力」がなければならないと、筒井氏は、ハイデガー「存在と時間」を例にあげながら説いています。
この「存在と時間」、小説ではないですが恐怖について述べた部分など、エンターテインメントと言われてもおかしくないほど面白いそうです。
特に現存在=人間に迫る部分などは、すごい迫力とのこと。

「存在と時間」、しっかりと読んでみようと思います。

また、文章は、作家の思考の道筋をほぼそのまま表現してしまう、もので、
有名な賞を取っている作家の作品でも、時として読んでいて、ついていけなかったり、苦痛に感じてしまうことが、ままあります。 

文章というのはきっと、人生にについての感じ方そのものなのでしょう。
私は、息つぎが違うから、読みにくいのかなあ、などと単純に考えていましたが・・・。

小説を書くことを愛し、のめり込むこと

また、一晩に何十枚も書くような作家で内容もいい。文学的に見るべきものもある。
でも、決定的に「迫力」欠けてしまっている、そんなことがあるそうです。
大切なのは小説を書くことを愛し、のめり込み、ひたすらいい仕事をしようと心がけることだそうです。

「作家は何も書くことがなくなってからが勝負」
と、作家の古井由吉氏は言ったそうですが、
そんな産みの苦しみの中から、真の「迫力」が生まれてくるのでしょうか。

また小説では、「主人公と何者かとの対立」軸を作ることが多いのですが、
「自分自身の脆弱な部分、卑劣な部分、臆病な部分を前掲化させ、時には拡大したりするのは私小説において壮絶な迫力を生む」
とのことです。これは恐ろしい視点ですね。

妄想について

また、「妄想」についての章も、たいへん興味深いものでした。
「妄想が軽蔑されるのは、多くの人が時分の妄想を顧みて時分で恥ずかしくなるから」ですが、
その妄想はいったん忘れ、心の奥底にしまいこんでしまうのがいいそうです。

けれど「何かについて書こうというとき、その妄想の断片は姿を変えたりくっついたりし、思いがけず芸術的な発想に昇華されて出現する」のだそうです。
なんだか創作についての大切な秘密を伝授して頂いてるような、そんな気持ちになります。
表現される方はぜひこの本を傍らに置いて、ときどき覗いてみられてはいかがでしょう。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
ほかにも、日々の思いを綴っていますので、目を通して頂けましたら幸いです。

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