サンショウウオ、ああ、長年にわたる私のかんちがい
今日ハッとすることがあった。
「サンショウウオの明るい禅」(玄侑宗久)という本を、息子がテーブルの上に置いていたのをチラ見し
手に取って、
あっと思った。

井伏鱒二の『山椒魚』はだれでも一度は読んでいると思うが、
私は、サンショウウオというのは、この年になるまで、
ずっと、魚 だと思っていたのだ。
岩屋からでられなくなる、の描写では、太りすぎた鯉のような魚が
出口の前でうろうろしてるところを想像していたのである(汗)
しかも、カエルが逃げられないよう、岩屋のの出口をふさぐ・・・のところでは、
魚の体で岩の出口をふさぐのは、ずいぶん難しいだろうなあ、とさえ思っていた。
実は、イモリのような両生類の動物だったとは・・・
息子に話すと、びっくりして顔を見つめられた。それももっともだ。
何しろこの年まで(^_^;)
それはさておき(コホン)、サンショウウオのイラスト、とぼけててかわいいです。
本の内容も、一見楽しくすらすら読めそうなのに、
あ、そうか、と立ち止まって考えさせられるところが多い。
最初の部分ですが、
作者は、動物園でサンショウウオを見た。
「そいつはただずっとヌボーッとしていた」
片足を台の上に乗せ、片方の肩だけ上がった不自然な姿勢なのに気にしてる様子もない。
水底は暗がりで、水面の上は明るい。けれど、どちらにいこうというのでもなく、ただヌボーッとっとしている。
これって、生き方ですね。
明るい方にいきたくもあるし、
暗い方に沈んでいきたくなることもある。
けれどそのどちらにも執着せず、おちつかない姿勢なのにそれも気にせず、ただヌボーッとして生きている。つまり
それでいいのだ~
ってことでしょうか。
生きてると、ついつい理想を見つけたり、努力したり、上を目指そうとするけれど、
こういう生き方もあるのだな、と。
というか、ある年齢以上になったら、まさしく、これ!
そういえば、数日前、高齢者の男性がゲームをしていた若者に乱暴するという事件があった。
あるツイッターの友(女性)は、
歩いていて自転車で追い越されるとき
10代の若者は、あ、すみませんと声をかけていく。
年配の男性は、怒って追い越していく人がほとんどだという。
年をとると、ついカリカリしてしまうことも多いけれど、
このサンショウウオを見習い(笑)、ひなたぼっこでもしてるみたいに、
ヌボーッっと、生きていられたらいいなあ・・・。
いや、すでにヌボーッどころか、半分ボケーが入ってるかも(^_^;)
それもまた、よしですね(笑)
、
ありふれた日常を送る人々の何気ない哀しみやアンバランス感。人生へのしみじみとした手触りを感じさる短編集「当世凡人伝」(富岡多恵子 講談社文芸文庫) 「あちらにいる鬼」(井上荒野 朝日文庫) 「作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時 作者は五歳だった」と寂聴さん 大河「べらぼう」、蔦重初の、ていさんとの対面に思わず「お初徳兵衞」といってしまう 「ラーゲリより愛を込めて」(二宮和也さん、北川景子さん主演) を観ていて思わず涙してしまった。長谷川四郎の短編集「シベリヤ物語」もぜひ読んでみて 「自分の人生はなんて幸せだったんだろう」と思えるかどうかは、実際に幸運だったかどうかでなく、考え方次第なのかもしれない