「純粋でいい子」に育てるのは、ある意味罪なのかもしれない・・・

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

山奥のシェアハウスに暮らす人々をNHKの番組で紹介していました。

このシェアハウスは、和歌山県の山奥にあり、廃校になった小学校の校舎を利用してつくられたそうです。住人はおよそ10人で、主に引きこもりやニートだった若者たち。

社会との関わりを断ちたい

ある女性は、そう思ってここにきたそうです。

「3年前は愛し合っていた夫婦が、離婚前の今は、どれくらい相手からお金を取ってやろうかと・・・そういうのを見ていると人間不信になる」

そんな風に話していました。まあ、そうかもしれない。
今の時代、正義感の強い人ほど社会の醜さに耐えきれないのでしょう。
今の教育では、「みんないい人」「いい人であれ」と教えるから。
やりすぎなくらいに・・・。

「離婚の時に相手からできるだけ多くのお金を・・・」
というのも、欲張っているのではなく、暮らしていくために必要だからかもしれない・・・。
人生はある意味、弱肉強食なのかもしれない。
でも、そんなことはだれもおおっぴらにはいわない。オブラートに包まれている。

輝くような善意もあるけれど、自分を守るエゴもある。それが人間。
その辺を理解していないと幻滅するばかり。

「みんないい人」教育をするのは良し悪し・・・

変な親から、すぐれた子どもができたり、
逆に、できすぎた優しい親に育てられた子が、どうしようもないわがまま者になることも・・・。

先ほどの女性ですが、一人で暮らす高齢者と交流するうちに、「少しずつ自分らしさを取り戻し」、ここで子どもを産む決心をします。

退院後、おばあさんが女性と赤ちゃんを預かって面倒をみます。女性は感謝し、赤ちゃんにおばあさんの名前をつけます。
赤ちゃんを愛しげに抱く、おばあさんの顔が素晴らしい。
「この村でまた、赤ちゃんを抱けるなんて思わなかった、ありがとう」

傷心してシェアハウスにやってきた女性を、おばあさんと赤ちゃんが救ったのです。

純粋なだけでは生きられない。
必要なのは多面的な見方をする能力と、明るい方に向かっていく勇気かもしれません。

昔の日本人は、その辺の加減がわかっていたような気がします。
いい子であれ、と強要するのは、ある意味罪なのかもしれません。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
ほかにもいろいろを書いていますので、目を通して頂けたら幸いです。

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