「暗夜行路」は暗いけれど、「月夜行路」では月が夜道を照らしてる
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

「暗夜行路」(志賀直哉)の主人公に救いはあるのでしょうか・・・?
春のドラマ「月夜行路」を観て、志賀直哉の「暗夜行路」を思い出した方も多いのではないでしょうか。
「暗夜行路」は志賀直哉の書いた唯一の長編小説です。
主人公は、作者の分身のような「時任謙作(ときとうけんさく)」。幼なじみとの結婚を拒否されたところから、自身の人生を否定されたような鬱屈を抱えます。謙作の不幸は、彼が母と祖父の間に生まれた不義の子だったこと。それを知ったことで暗雲の立ちこめたような人生を送ることになります。
そして謙作には、さらに、妻の不義という追い打ちが・・・。出口のない苦しみの中黙々と歩んでいく、それが「暗夜行路」なのでしょうか。
「私は今、実にいい気持なのだよ」とは?
終わり近くですが、謙作は病気を押して登った大山山中で、ひとり山の中に残り、夜明けの光とともに自然と一体になるような心の充足を得ることができます。
その後、急きょ病床に駆けつけた妻直子との和解のようなシーンが描かれます。
謙作は病床から直子を見つめていいます。
「私は今、実にいい気持なのだよ」
と、これはどういう意味なのでしょう。
苦しみの末、こだわりはすべて消えた。心が晴れやかになった、という意味なのでしょうか。
それとも遺言のようなもの・・・?
それを聞いている直子の心境も不思議といえば不思議です。
「自分はこの人を離れず、何時までもこの人に随いてついていくのだ」
何もかもを許し合おうという、和解の場面なのでしょうか。
暗く、時に勝手な主人公と併走する覚悟が必要
「暗夜行路」という小説を読んで思うのは、やはり暗いなあ、ということです。
また、特に高尚なところを目指すわけではなく、魂の高みにつれていってやるという気負いもなく、行き場のない心をかかえたまま黙々と歩んでいく。暗夜行路は、謙作一人だけのものではなく、詠む人もそれぞれ悩みをかかえているわけで、それでも歩んでいこう、最後には明るい光の中にいるかも知れない、という凡人への励ましの小説にもなっている気がします。
また、私たち日本人は魂の救済ということをよく考えます。暗い道をてくてく歩んでくれた主人公には共感しますし、その到達点には関心を持たざるをえません。そういう意味でも価値ある小説だと思います。
白樺派の作家にとって女性とは?
理想主義、人道主義の白樺派の小説家というのは、武者小路実篤にしろ有島武郎にしろ、そして志賀直哉にしろ、高尚で、貴族的で、インテリで・・・と思うのですが、この小説はある意味それを裏切っています。ですので小説の神様の作品として仰ぎ見ずに、もっと身近に自分事としてこの小説を読んでもいいのかなと思えます。
また卑小な見方ですみませんが、女性を見る目にもなんだろうなあ、と思うことがたびたびあります。
例えば前半で次々と関心を抱く女性たちについて。そのどこに惹かれるのか一向にわかりません。遊んでいる中で、芸者の○○が気になっているかと思うと、いつのまにか好きになっていたという、今の女性にとって少々唖然とする展開です。時代的なこともあるのでしょうが・・・。
「源氏物語」で千年前に描かれたテーマ
「暗夜行路」は、「源氏物語」を通して流れている暗く重いテーマを踏襲している気がします。
ふたつの不倫。光源氏も父帝も表面は「禁断の恋」に気づかぬ風に淡々と物語が展開していきます。けれど内に秘めた分だけ、その苦しみは大変なものでしょう。光源氏にも、そして父帝にも救いはありませんでした。
ただただ暗い御簾の奥に座って耐えるしかなかったのです。
謙作は暗夜行路の先に、光を見つけられたのでしょうか。
ドラマ「月夜行路」では、最後に父との和解があり、主人公の行路が暖かい月明かりに照らされているのを感じさせます。謙作の苦悩と比較してみるとなお趣深く感じさせられます。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。










